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二分化立する米国と馬英九の誤算 (世界戦略情報「みち」平成21年(2009)9月15日第301号)
●G20財務相・中央銀行総裁会議
九月二日、欧州連合(EU)は、非公式の財務相理事会を開き、銀行の高額報酬を抑えるための国際的な規制導入を目指すことで一致した。翌三日、英国独仏の首脳は、四日から開幕される主要二〇ヶ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議に向け、共同声明を発表。
首脳らは、世界経済は安定化の兆候が出ているとしながらも、「設備稼働率の低迷で、労働市場は今後、数ヶ月影響を受ける。景気刺激策を完全に実施するとのメッセージが必要」と強調した。また金融規制では、「危機以前に広がっていた行動様式に戻れると考えている金融機関さえある」と指摘。金融危機の一因とされる報酬制度について、「ボーナスなどの多くは支払いを遅らせ、銀行の業績次第で取りやめるべきだ」などと提言。国ごとの制裁措置の導入を求めた。
金融危機が激化した昨秋以来、米国は「量的緩和策」を、自国だけでなく欧州や日本などにも協調させてきた。「量的緩和」は、ゼロ金利の維持と、通貨当局から市場への通貨と信用の過大なまでの積極発行によって、不景気の悪影響を緩和しようとする経済政策である。
「量的緩和策」は、景気の悪化が一段落したところでタイミングを間違えずに停止しないと、この政策の負の側面である通貨の信用失墜が顕在化し、インフレや米国債の売れ行き不振による長期金利の上昇などがおこり、経済救済ではなく破壊を誘発する危険性を秘めている。八月に入って、米国筋から世界不況が一段落して景気が回復基調に入っているため、「量的緩和策」をやめる「出口戦略」を勘案すべきだとの主張が出始めていた。
一連の欧州の反応は、「出口戦略」の論議はまだ尚早だとした懸念の表明である。米国筋は、N・Yや東京、上海市場の株高を景気回復の指標と捉えている。しかし、その内実は「量的緩和資金」が株式市場になだれ込むマネーゲーム(金融資本主義)が加熱しているだけで、実体経済の底上げとは無関係な現象である。同時に、マネーゲームに携わる銀行などの役員報酬は相変わらずべらぼうに高いままである。
欧州勢は、国民の血税が景気回復ではなくマネーゲームに浪費されている内実を看過すべきではないとした懸念を、G20の開幕を前に表明した。金融危機の元凶である金融資本主義が、相変わらず跳梁跋扈している実態を放置するなとする警告でもあった。すなわち、ユダヤ型金融資本(拝金主義勢力)を根本から締め付けないと、米国はともかく欧州世界の金融破綻は免れないとする悲壮感のあらわれでもあり、欧州勢は米国との決別をも辞さぬ覚悟でG20に臨んだ。
九月五日、G20財務相・中央銀行総裁会議は共同声明を採択して閉幕。
共同声明は世界経済の改善を指摘しつつも雇用不安など下振れ懸念があるとの認識を表明。不良債権処理や雇用市場の改革などの推進が重要とした。そのうえで、危機対応で各国が採用した異例の財政拡大や金融緩和策を平時に戻す「出口戦略」については、「景気回復がしっかりと確保される」ことが前提になると指摘。各国が「協力的で調和する」必要があるとし、当面は慎重な姿勢で臨むべきだとの判断を鮮明にした。また、会議では金融危機の再発防止策も議論し、共同声明に付属する特別文書に金融機関幹部らの報酬制限案の指針策定を明記した。
ガイトナー米財務長官は、「金融システムは回復の兆しを見せている。世界経済成長率も順調に回復している。だが、まだまだ回復のためになすべき課題が多い」と述べるなど、米国は今回のG20で欧州勢に妥協した。
米国では公的資金の投入を受けて再建中の米保険大手AIGなどの金融機関での高額報酬が復活し、内外から批判が高まっている。このため、ガイトナーも報酬規制を見直す姿勢を示さざるを得ないまでに追い込まれた。同時に、AIG再建不能、再破綻説も取りざたされており、欧州勢、ことに英国筋が懸念するポンド破綻よりドル破綻が現実化する危険性が痛感され始めるなかで、国連はドル失墜に備えるよう提言している。
国連は九月七日に発表した報告書で、新たな世界準備通貨を創設し、国際貿易でのドルの役割を軽減することで、新興国市場を金融の思惑的な「信頼感競争」から保護する必要があると提言した。
ジュネーブに本部を置く国連貿易開発会議(UNCTAD)は報告書で、国連加盟国は新たに世界準備通貨銀行を創設し、同銀行が通貨発行および加盟国が保有する通貨の為替水準を監視することに合意する必要があると呼び掛けた。報告書の共同執筆者でUNCTADのフラスベック・ディレクターは、「為替相場管理のための多国間合意に基づく枠組で、より安定した為替水準を達成できる確率はかなり高い」との見方を示し、「ブレトン・ウッズ体制や欧州通貨制度(EMS)に相当する取り組みが必要だ」と述べた。国連がこの段階で世界準備通貨銀行構想を発表したのは、ドル基軸通貨体制がもはや限界に達していることを認め、ドル破綻を想定した準備が進められていることを示している。
世界はドル崩壊を念頭に置いた動きを見せる一方で、オバマ米政権の求心力にも赤信号が灯り始めている。
●米世論二分化が急進行
国民皆保険化を目指すオバマ政権の医療保険改革「オバマケア」が、国民の支持獲得に苦戦している。
議会が夏季休会入りし、オバマ大統領や民主党議員は住民との対話集会で改革気運を高めようと躍起だが、政府介入の強化を嫌う保守層は激しい反対運動を展開し、国民の間では赤(保守)と青(リベラル)の二極化が鮮明になり、世論は分裂状態になっている。同時に、オバマの支持率が五〇パーセントを切るなど、政権の求心力にも陰りが出始めている。オバマは、年内の法案成立を目指しているが、論争の行方次第では最大の政治的危機(内乱)に発展する危険性も指摘されている。
「歴史は明らかだ。改革が可決に近づくと、特別利益団体があらゆる手段を使って抵抗してくる」と、八月末、ニューハンプシャー州ポーツマスにある高校の講堂でオバマは約一八〇〇人の聴衆に訴えた。ポーツマスは〇七年四月、民主党の大統領候補だったオバマが国民皆保険制度の実現を宣言した場所。しかし、場外には「オバマは社会主義者」などと攻撃するプラカードを掲げた反対派が、賛成派と睨み合うなど、保守派は実力行使の抵抗姿勢を強めている。
「オバマケア」は、高額な医療支出を削減すると同時に新たな公的保険を設け、約四七〇〇万人いる無保険者の撲滅を目指すものである。だが、一〇年間で一兆ドル(九三兆円)という国庫負担が最大の障害になっている。
地元に帰った民主党議員の集会では、反対派の住民が押し寄せてヤジを飛ばし、議員に直接詰め寄る光景が繰り広げられている。共和党の副大統領候補だったペイリン前アラスカ州知事が、改革は「高齢者に人生の終わりの決断を迫る」と過激な批判を展開すれば、民主党のペロシ下院議長が新聞寄稿で、激化する保守層の反対運動を「反米国的」と呼び、民主党と共和党の対立も熾烈となっている。さらに、民主党内からも医療改革に批判的な声があがり、オバマの足元をすくう動きも出始めている。
九月八日、オバマはバージニア州の高校で演説し、テレビやインターネットを通じて新学期を迎える全米の児童・生徒に教育を受けることの大切さを訴えた。演説をめぐって、「社会主義理念の押しつけだ」などの過激な反発が保守派を中心に強まり、全米の学校で演説の放送を中止したり、子供の退席を認める動きが起きた。
九月七日、演説をめぐる批判についてギブス大統領報道官は、「子供や教師、両親に対して教育の責務について話そうとすることが、政治的介入を受けるのは悲しむべきだ」と反論。同日付の米紙ワシントン・ポストも、「宿題をやり、目標を定めることがどうして『共産党宣言』の一節になるのだ」として、演説を「社会主義理念の押しつけだ」とする共和党など保守勢力の主張を批判した。
医療改革を、「社会主義」と決めつける保守派勢力は、オバマが訴える「どんなに熱心な先生や両親がいて世界最高の学校があったとしても、みんなが自分の責務を果たさなければ意味はない」とする演説内容すら「社会主義の押しつけだ」と決めつけ、オバマ批判を強めている。同時に、メディアを巻き込んだ左右の論争にも火が付き始め、米国世論の極端な二分化(イデオロギー闘争)が急速に進んでいる。
また、保守派勢力の草の根運動も活発化している。八月末にカリフォルニア州を出発した「ティーパーティー・エクスプレス」など、全米各地から減税や小さな政府などの保守理念を訴えつつバスなどで大陸を横断しながら、ワシントンで統一ラリー(九月一二日)を行なう大規模な大衆運動が始まっている。「ティーパーティー」は、米国独立のきっかけのひとつとなった「ボストン茶会事件」にちなんだ運動で、過激化すれば州の連邦離脱運動にまで発展する可能性があり、最悪の場合は内戦誘発の危険性も孕んでいるが、オバマの医療保険改革が彼らの運動を盛り上げる格好の題材となっている。
八月三一日、麻薬カルテル間の流血の抗争が吹き荒れる米国境に近いメキシコ・シウダーフアレスのフェリス市長は、同月の麻薬犯罪絡みの死者が約二九〇人と最悪の記録となったことを明らかにした。
同市では昨年、警官約七〇〇人以上が汚職調査絡みで解雇されている。麻薬カルテルと警官、軍、行政当局者との癒着も根強く、これまで多数の逮捕者も出ている。同時に麻薬カルテルと米CIAの緻密な関係が指摘されており、オバマが麻薬カルテルの撲滅を掲げているため、政権とCIAとの軋轢も生じている。州財政の破綻が連邦政府の金融政策に大きな影響を及ぼすカリフォルニア州で、大規模な森林火災が起きて東京二三区に相当する面積が焼失したのも、CIAの黙認を確信したメキシコ麻薬カルテルによる放火テロだとされている。
米国の内政事情は世論の分裂・対立の激化による内乱・内戦誘発の可能性だけでなく、麻薬カルテルによるテロ活発化が懸念される治安劣化に急速に陥る危険性が生じている。このため、連邦危機管理庁(FEMA)はいつでも出動できる準備を整えており、一部の部隊はすでに極秘裏に出動している。同時に、第二の金融危機(金融機関の閉鎖)勃発を想定した治安管理態勢をも強化している。
また、オバマは「アフガン戦争」の継続の必要性を訴えているが、米国世論のアフガン戦争に対する支持率は急低下している。オバマ政権の内憂外患が一気に浮上するなかで、米・アフガン関係にも亀裂が生じ始めてきた。
●米・アフガン関係に亀裂
八月三一日、アフガン駐留米軍のマクリスタル司令官が現地情勢報告書を示したことを受け、オバマ政権は追加増派の是非の検討に入っている。米世論に配慮し慎重にならざるを得ない趨勢にあって、現場サイドからすれば勝利のために追加増派は不可欠で、オバマは苦しい選択を迫られている。
アフガン軍事作戦に対する米国民の不支持率は過去最高の五七パーセントに達したことが、CNNとオピニオン・リサーチが八月下旬に共同実施した最新の世論調査で明らかになった。四月に実施した同様の調査時より一一ポイント増加し、米国がアフガン軍事作戦を開始した〇一年末以降の調査で過去最高となった。また、米ラムセンの世論調査では、「向こう半年で戦況は悪化する」との回答は五五パーセント。二〇パーセントが「アフガン駐留米軍の即時撤退」を求めている。
八月二八日、英BBCは、二〇日投票のアフガン大統領選を巡り、米国のホルブルック特別代表(アフガニスタン・パキスタン担当)がカルザイ大統領との会談で、選挙での不正への懸念から第二回投票の実施を促したが、カルザイが「内政干渉」だと激怒し会談は決裂したと、報じた。
アフガン大統領選は現在も開票作業が続き、多くの不正行為が表面化している。当選に必要な過半数を得票する候補がいなければ、上位二人による決選投票になる。
九月八日に発表された中間集計で、カルザイの得票が初めて当選ラインの過半数に達し、再選に大きく近づいた。しかし、不正投票が相当数に上る可能性が出ており、カルザイがこのまま勝利しても、対抗馬のアブドラ元外相らの反発は必至な状況にある。そうした混乱を避け選挙結果の正当性を確保したい米国は、不正の徹底調査をカルザイに求めたが、彼は不快感を示すだけで双方の亀裂だけを印象づけている。
一方、不服審査委員会は同日、「多数の投票所で、明白で有力な不正の証拠を見つけた」として、集計作業の一部やり直しを指示。投票者が六〇〇人以上、またはひとりの候補者が九五パーセント以上を得票した投票所が、やり直しの対象になる。不正・不服の申し立ては約二〇〇〇件にのぼり、その大半が「カルザイ票」に関し、約六〇〇件は選挙結果に影響しかねない深刻な事案だとされている。選挙管理委員会は六〇〇ヶ所の投票所で不正が確認されたとして、投票を無効としている。
こうした状況を憂慮する米国のアイケンベリー駐アフガン大使が、カルザイと会談(九月七日)。大使は、不正疑惑で選挙結果の正当性が揺らぎかねないとの強い懸念を示し、不正の徹底調査を求めたとされている。
また、米側は、カルザイの兄弟が汚職に手を染め、副大統領候補のファヒームが麻薬の売買に携わっているとの疑いをもち、問題視してもいる。しかし、カルザイは、「米国は(私に)もっと従順になってほしいために、秘密裏に(自分を)攻撃している」と批判し、自身を傀儡にすることが狙いだと米側を牽制している(九月七日付仏紙フィガロ)。
こうした状況にあって、九月四日、アフガン北部クンドゥズ州で国際治安支援部隊(ISAF)が、イスラム原理主義勢力タリバンに乗っ取られた燃料輸送トラックを空爆した結果、多数の民間人らが死亡した事件が起きた。ISAF司令官のマクリスタル米陸軍大将は事件後、カルザイに「空爆の指示は与えていない」と弁明したが、カルザイは「空爆は誤った判断だった」と米軍の指揮を痛烈に批判するなど、米国とカルザイとの溝を広げている。
アフガン駐留米軍とカルザイ政権の責任の擦り付け合いは、最終的には敗退撤収を余儀なくされたヴェトナム戦争末期と同様に、アフガン戦争が泥沼化し始めていることを浮き彫りにしている。このため、ホワイトハウスは、「重大な懸念」を表明。米国内では対テロ戦争の泥沼化を懸念する世論が強まっている最中の不祥事で、オバマ政権は事件により厭戦気運が盛り上がって、政治的な重圧となることを極度に警戒し始めているからである。
〇一年の派兵開始から、アフガンや隣接地で死亡した米兵は七三八人(九月六日現在)。タリバン掃討はもとより、アルカイダのビンラディン容疑者の拘束や殺害という成果もないまま、犠牲者が増え続ける状況にあって、増派への疑問が急速に強まっている。米紙N・Yタイムズは、新たな米軍増派が「オバマ政権にとって破滅的な決断となり得る」と警告している。
米非政府組織(NGO)「政府監視計画」は、首都カブールにある米大使館を警備する民間警備員たちの風紀が乱れており、適切な警備態勢もとられていないため「大使館が深刻な危険にさらされている」として、事態の改善を求める報告書をクリントン国務長官に送付した(九月一日)。
米議会調査局の報告書(今年三月)によると、アフガンでは米軍兵士の数より民間の契約警備員のほうが多い。民間の警備会社をめぐっては「ブラックウオーター」がイラクで殺傷事件を起こすなど、これまでも問題点がたびたび指摘されている。オバマ政権は、ネオコン流儀の反テロ戦争の軍事利権(軍則に縛られない高額経費の民間軍事会社起用)の尻ぬぐいにも頭を痛めることになる。そして、オバマ政権は、ヴェトナム化が必須のアフガン戦争をどのように切り抜けるかの重大な決断を下す最後の岐路に立たされている。増派は米国社会の分裂を勢いづけ、即時撤退や大幅な戦線縮小は米国威信の低下につながるだけでなく、パキスタンの解体を誘発し同国の核がテロ勢力の手に渡る危険性も否定できない。
ヴェトナム戦争時、米国は支那北京政府との秘密交渉を背景に、敗退撤収を決断した。現時点で当時の支那に相当する国家も勢力も見いだせないオバマ米政権の苦悩と、ドル崩落危機が世界情勢をハルマゲドン位相に追い込む危険性すら懸念され始めている。
その状況にあって、トルコの動きが改めて注目されている。
●トルコ・アルメニア国交樹立へ
八月三一日、トルコ、アルメニア両国政府は共同声明を発表し、国交がなく断絶してきた両国関係の正常化を進めることで合意したと明らかにした。両国は今後六週間以内にそれぞれ国会承認などの手続きを終え国交樹立に正式署名する方針である。両国の交渉を仲介したのはスイスである。
トルコとアルメニアは隣接しながらも九一年にアルメニアが旧ソ連から独立して以来、国交はない。第一次大戦末期のオスマン・トルコによる「アルメニア人虐殺」の歴史認識の違いや、アルメニアと隣国アゼルバイジャンの対立を巡り、トルコが宗教的なつながりからアゼルバイジャンを支持することなどを背景に、対立を深めてきた。
トルコのギュル大統領が昨年九月、サッカー・ワールドカップ地区予選の観戦でアルメニアを初訪問し、和解の動きが加速していた。共同声明によると、国交樹立後二ヶ月以内に、九三年から閉鎖しているトルコ・アルメニア国境が再開される。トルコとしては長年の懸案を解決して、欧州連合(EU)への加盟促進を図る狙いもある。一方、内陸国アルメニアには、トルコ国境が再開すれば欧州市場への「出口拡大」にもつながる。
トルコは、アルメニアとの関係改善交渉を進めるに当たり、同じくアルメニアと反目しているアゼルバイジャンへの配慮も欠かしていない。非公式情報であるが、アルメニアはトルコの要請を受けて、アゼルバイジャンが領有を主張している五つの地域を返還することに同意した模様である。領土問題での歩み寄りに双方が同意すれば、アゼルバイジャンとアルメニアの国交も回復される可能性が高い。すでにアゼルバイジャンは、アルメニアとの国境を開く方向に向かい始めている。
トルコ、アゼルバイジャン、アルメニアが歴史的な和解を達成すれば、アゼルバイジャンを玄関口とし、アルメニアを経由し、中央アジアのエネルギー資源が、トルコに届けられることになり、当該三国は共に経済権益を一気に拡大出来る。
トルコはこれまでイランとEUとの関係仲介を務め、シリアとイスラエルとの間接交渉の扉も開いた。さらに、クルド自治政府とイラク中央政府との関係を強化し、双方の仲介役割に乗り出し、多国籍軍撤退後のイラク安定化に寄与する意向を公にしている。そして、懸案のアルメニアとの復交を達成することで、文明地政学位相におけるオスマン帝国を復興させる意思を内外に鮮明にうち出してきた。
文明地政学におけるオスマン帝国の復権こそ、ネオコン・右派シオニスト勢力が仕掛ける天啓宗教世界の「神々の衝突」を回避し、融和・共存への扉を開き、中東安定化に大いに寄与することになる。同時に、米国の苦悩に手を差し伸べる環境が整備されることにもなる。さらにトルコは、ロシアとの連携をも強化している。
九月六日、ロシアのプーチン首相はトルコの首都アンカラを訪問してエルドアン首相と会談し、ロシアが推進する欧州向けの天然ガス輸送パイプライン「サウス・ストリーム」計画の建設協力で合意、署名を交わした。欧州向け天然ガス供給の独占体制を維持したいロシアと、地域の資源集積地としての影響力を高めたいトルコの思惑が合致した「サウス」計画は、ロシアから黒海を通ってブルガリアやオーストリア、ギリシアなどへ向かうライン。ロシアは来年までに建設を始め、二〇一五年の稼働開始を目指している。
ロシアにとっては、黒海のパイプライン敷設を巡り同国との確執を抱えるウクライナが自国水域での敷設を許可しないのではないかとの懸念があり、黒海対岸のトルコの協力取り付けはルートを確保する上で重要だった。一方、トルコは東西を結ぶ「資源回廊」になることを狙っている。
プーチンは記者会見で「サウス計画」の意義を「(天然ガス供給の)基盤整備が進むほど欧州向けエネルギー供給は安定する」と強調。エルドアンも「将来的には依然、欧州向け供給は十分とは言えない」と重要性を指摘した。署名には、「サウス」計画に参加するイタリアのベルルスコーニ首相も同席するなど、欧州勢力も文明地政学におけるオスマン帝国の復権に期待感を示した。
アンカラでは七月にも別の欧州向け天然ガス輸送パイプライン「ナブッコ計画」を進める多国間協定も結ばれ、トルコはこれにも参加している。「ナブッコ」は、天然ガスのロシア依存を軽減したいEUが主導する計画で、本来なら「サウス」と競合する。だが、トルコはふたつの計画を天秤に掛け、単なるパイプラインの「通過国」にとどまらず、エネルギー安全保障上の国際的影響力を高めようとしている。
トルコの存在感の台頭は中東安定化への重要な要因となる。だが、イランでは革命防衛隊によるクーデタ紛いの政権が樹立し、内政不安が中東不安定化の不安感の火種になりかねないとの懸念が出始めている。
●アフマディネジャド第二期政権発足
九月三日、イラン国会は、大統領選で再選されたアフマディネジャドが閣僚として指名していた二一人のうち、一八人を信任した。
信任投票で最も多い信任票を集めたのは、バヒディ国防相だった。彼は、九四年にアルゼンチンで起きたユダヤ人施設爆破事件に関与したとして、国際刑事警察機構から指名手配されている革命防衛隊の出身者である。大統領の指名に対し、アルゼンチン外務省が強く抗議していた。しかし、バヒディは、自らが最高得票で新任されたことについて、「(イランは)イスラエルに断固たる平手打ちを食らわせた」と自画自賛した。
一方、保健相として信任されたバヒドダストジェルディ女史は、七九年のイスラム革命後初の女性閣僚となる。過半数の票を得られず不信任となった三人のうち、教育相候補と社会福祉相候補の二人はいずれも女性だった。空席の三閣僚は三ヶ月以内に新たに人選し、国会で信任を求める。
六月の大統領選以来、イランではアフマディネジャドを支持する保守派と、選挙に敗れたムサビらが率いる改革派が暗闘を繰り返していると見られていた。しかし、第二期政権発足をめぐって、宗教最高指導者ハメネイ師とアフマディネジャドの確執が浮き彫りになり、保守派の内部抗争が露呈した。
アフマディネジャドは当選直後、マシャイ副大統領の留任を早々と決めた。マシャイは昨年七月テヘランで開かれた国際観光会議の席上で、「イランに敵はない。米国もイスラエルも友人だ」と発言し、保守派から非難されていた。このため、マシャイの留任に保守派から批判が噴出。だが、マシャイは「イスラエルは大好きな友人だ」と繰り返し述べ、アフマディネジャドも彼を積極的に擁護していた。
アフマディネジャドはオバマ米政権がイスラエル離れを隠さず、イスラム諸国との対話路線に傾斜する意向を示していることに積極的に対応して、イランはイスラエルを敵視していないとの信号を送るため、マシャイを活用していた。すなわち、米国(ネオコン)とイスラエル(シオニスト)の右派勢力が一方的にイランを敵視しているだけで、彼らと一線を画すオバマとの対話路線を積極的に評価しているとの発信戦略である。しかし、このアフマディネジャドのやり方は、ハメネイを含む保守勢力にはまったく歓迎されないだけでなく、徹底的に忌避されていた。
七月一八日、ハメネイは、アフマディネジャドに宛てて「マシャイを副大統領に任命したことは、貴殿と貴政府の利益に反し、貴殿の支持者に不満を抱かせる。任命は撤回すべきだ」との指示書を出した。しかし、アフマディネジャドが人事を撤回しないため、七月二四日の国営テレビでハメネイの指示書が朗読され、公開された。
この結果、マシャイは神権政治体制に逆らう意志がない証として、辞表を提出。アフマディネジャドも辞表を渋々受理し、ハメネイの指示を尊重する姿勢を示した。
同時にアフマディネジャドは、第二期目の閣僚人事で三人の女性を指名し、一人の信任に成功した。イスラム革命後のイランで、女性が閣僚に任命されるのは初めてのことである。改革派と称される前任のハタミ政権ですら、女性を次官に登用するのが精一杯であった。すなわち、アフマディネジャドは、守旧派との確執を覚悟し、改革派をも取り込むという強かな手腕を発揮したのである。
ただし、国際指名手配のバヒディを国防相に抜擢するなど、彼に忠実な革命防衛隊を重視して、反政府勢力への睨みをきかせる布陣をもしいた。すなわち、革命防衛隊によるクーデタで、ハメネイ以下の保守派を強く牽制(弾圧)する第二期政権を発足させたわけだ。アフマディネジャド第二期政権に対し、ハタミ師は、ファシストで全体主義政権だと激しく非難している。
九月六日付英日曜紙サンデー・タイムズは、前回の本紙(九月一日号)ですでに記したロシア貨物船「北極海」の奇っ怪な海賊襲撃事件に関し、イスラエル情報筋の話として、ロシア製対空ミサイル「SB300」がイランに密輸されるのをイスラエル情報機関モサドが阻止したと報じた。英国の日曜紙があえてイスラエルの秘密工作を好意的に報じたのは、イランに対する警告と、一向に対イラン先制軍事攻撃を諦めていないイスラエルに自制を促すためである。
さらには、ロシア政府に犯罪組織の武器密輸を厳しく取り締まるよう要求することで、ロシアとイランの密接な関係を牽制する意図を秘めての報道でもある。この問題でロシアとの関係悪化を恐れるイスラエルのネタニヤフ首相がモスクワを極秘訪問し、プーチンと秘密会談を行なったとされている。
中東安定化への道のりはまだほど遠いが、東洋文明世界では天啓宗教世界の「神々の衝突」とは違う位相のさや当てが起きている。
●ダライラマ法王訪台
八月三〇日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王が台湾入りし、同日南部の被災地を訪問した。
法王は、今回の訪台を「純粋に人道的、宗教的な目的」と強調。記者会見も中止し、慰問先でも報道陣に「政治的な目的はない」と繰り返し述べた。二〇〇一年以来、三度目の訪問となった台湾に対しては「台湾の運命は台湾住民が決めるもの。民主主義を享受し、民主主義の道を歩むべきだ」と訴えた。
八月八日、台湾中南部を襲った台風八号は、豪雨で大きな被害をもたらした。大規模災害にもかかわらず、馬英九総統は動かず、政府からは救助命令が下されず被害が拡大した。台湾マスコミの世論調査では八〇パーセントが「馬総統は辞任すべきだ」と回答。地元テレビ局・TVBSの調査では支持率は従来の五〇パーセント台から一〇パーセント前半に大幅急落。インターネット上の世論調査でも八〇パーセントが「馬総統は辞任すべきだ」との結果が出た。
水害対応への非難が高まるなか、馬英九は被災民感情への配慮から民進党が進めた訪台を容認。中共の理解は得られると踏み、事前に北京に連絡しなかった。すなわち、今回のダライ・ラマの訪台は、野党民進党が仕掛けた「奇襲」であった。しかし、中共国務院(政府)台湾事務弁公室は、報道官声明で「(中国の)分裂活動を長年続けているダライの訪台を民進党が画策している」と指摘。断固反対を唱えたうえで「訪台は必ず両岸関係にマイナスの影響を与える」と警告し、北京は要人の台湾訪問や大型商談の延期を決めた。
馬政権が今回のダライ・ラマ訪台を認めたのは、水害被害対応の失態による台湾住民の批判をかわすことに活路を見いだすためだった。また、国民党関係者の訪中を異例な厚遇で迎える中国共産党との信頼関係は厚いとして、北京は鷹揚に構えるだろうと高をくくっていた節が濃厚である。
支那の経済発展には著しい面がある。だが、支那民衆や共産党指導部のなかにも、共産党独裁統治体制下では持続的経済発展に限界があるとの現実認識が広まっている。その認識の広まりが、台湾独立を否認する同胞としての台湾国民党に対する期待感にまで高まり、支那大陸での国民党復権幻想すらわき上がっている。馬英九はこの幻想期待を過大評価して、北京はダライ・ラマ訪台を看過するであろうと読んで、訪台を認めた。
事実、北京は馬政権に対し一貫して好意的な対応を取ってきた。だが、今回は一転して批判をあびせ付けてきた。七月に新疆ウイグル自治区で大規模な騒乱が発生したため、少数民族問題で特例を認めれば「蟻の一穴」となりかねないとの危機感を強めたからである。また、ダライラマ訪台受け入れだけでなく、李登輝訪日を間接援護したことも、北京の馬政権批判の一因となっている。
九九年九月、台湾中部で起こった大地震は二四一五人もの死者を出した。当時の李登輝総統は、地震発生と同時に「緊急命令」を発令。台湾民衆は、このときの李登輝の鮮やかな指導力を鮮明に記憶している。今回の台風災害を契機に、李登輝の政治能力と行政手腕が改めて見直され、台湾では李登輝ブームが再来している。李登輝は九月四日に日本青年会議所の招きで日本を訪れ、五日には日比谷公会堂で講演を行なった。日程調整や警護等の担当は台北駐日代表処が担ったため、今回の訪日は、馬総統の対日政策変更を示す動きの一つと北京は警戒した。
北京当局は、チベット自治区と新疆ウイグル自治区対応について、それぞれの目線に従った対応に徹している。大別すれば、穏和な仏教徒のチベット族に対しては懐柔、過激なイスラム教徒のウイグル族には強権対策である。
七月の新疆ウイグル自治区の暴動発生は強権鎮圧に成功したが、同自治区では九月に入って治安悪化に対する漢族の不満デモが頻発している。同自治区には異様なまでに多数のエイズ患者がいて、彼らがエイズ感染を広めようと注射針を使う刺傷事件(テロ)が多発している。
北京公安筋は、新疆ウイグル自治区で発生した暴動や針刺傷テロの背景に、米・CIA筋の関与があるとの確信を抱き始めている。九・一一事件以降の米国は、「非対称戦」戦略で支那大陸分断攻勢を続けているとの認識に基づいた確信である。支那側も「超限戦」戦略で対米工作を続け、通貨戦略では一定の成果をあげ、米側に米中「G2」体制を認めさせるまでにいたっている。ウイグル自治区の暴動や刺傷テロが起きていなければ、北京はダライ・ラマ訪台を馬英九が楽観視したような対応で済ませる余裕を見せたであろう。だが、「超限戦」戦略に基づく対米戦略に従って、馬批判に転じた。
現在、北京がもっとも神経を尖らせるのはクリントン訪朝で米朝国交樹立が早まることである。また、北京公安筋は支那国内の金融機関に開設されている北朝鮮関係者の口座すべてを監視下におき、一部を封鎖するなど平壌への締め付けを強化している。
●対南融和策に転じた北朝鮮?
北朝鮮金剛山で行なわれていた韓国と北朝鮮の南北赤十字会談は最終日の八月二八日に全体会議を開き、南北離散家族の再会を九月二六日〜一〇月一日に金剛山で開催することなどで合意した。対象は南北合わせて二〇〇家族。盧武鉉時代の〇七年一〇月以来約二年ぶりで、李明博政権下で初の離散家族再会が実現することになる。今回の離散家族再会が、中断中の金剛山観光事業や人道支援の再開に向けた実務協議の本格化を後押しする可能性もある。
同日、韓国統一省によると、北朝鮮は、日本海で七月末に拿捕した韓国漁船の乗組員四人を二九日夕、海上で引き渡すと韓国側に通知した。韓国政府は「人道的な次元で帰還措置が取られることを幸いに思う」とのコメントを出した。そして、二九日、北側は約束通り四人を解放した。
八月三一日、北朝鮮の平壌放送は、金正日が、北朝鮮をめぐる緊張状態を緩和し戦争の危険を取り除くのに妨げとなっている問題は、「米国がわが共和国に対する敵対視政策を捨て、朝米間で平和協定を締結してこそ解決できる」と述べたと報じた。発言の日時は不明。韓国の聯合ニュースが伝えた。
九月一日、支那外務省の姜報道官は北朝鮮の金永日外務次官(アジア担当)が同日、北京入りしたことを確認した。訪問の目的は不明だが、支那外務省幹部と会談する見通し。一〇月の中朝国交六〇周年を控え、今後の高官往来や交流事業の進め方について話し合うとみられている。
一連の動きは北朝鮮がクリントンの訪朝後、韓国に対話攻勢をかけている姿勢を誇示することで米朝直接対話の進捗を重ねて訴え、返す刀で支那との関係にも配慮する必要性に平壌指導部が慎重に配慮したことを示唆している。だが、その反面、韓国を刺激するダム放流を行なうなどの不可解な動きも見せている。
九月六日朝、北朝鮮との軍事境界線に近い韓国北部京畿道漣川郡の臨津江(イムジンガン)でキャンプ中の六人が、急激な水位上昇のため流され行方不明になった。韓国情報機関筋は、今回の水害は北朝鮮の国防委員会の決定による黄江ダムの大規模放流によって引き起こされた可能性を疑っている。金王朝三代目継承をめぐる権力闘争(金王朝版壬申の乱)が激化し、そのとっばちりが対南対話路線妨害のダム放流になったとの分析もある。事実、「クリントンの訪朝を成功させたのは金正雲大将の功績である」と喧伝した北メディアは最近、一斉に正雲の動向を伝えなくなっている。
九月一〇日北朝鮮の権力序列第二位の金永南最高人民会議常任委員長は共同通信平壌特派員とのインタビューで、金正日の後継者問題について、「革命の伝統を継承する問題は重要だが、このことと後継者問題は関係ない。現時点では論議されていない」と述べた。また彼は三男・正雲が後継者に内定したという報道について、「一部の外国メディアが、わが国の発展と繁栄を阻もうとするための策略として流した情報だと考える。今、わが人民は共和国(北朝鮮)と社会主義を守るため、金総書記を中心として強く団結している」と述べ、後継者が内定したという説を正式に否定した。
一方、日朝関係について金永南は次期民主党政権に対し、「二〇〇二年の日朝平壌宣言を尊重し、これに基づいて不幸な過去を清算するため、誠実に取り組んでいかなければならない」と述べ、「関係改善の展望はあくまで日本当局の態度にかかっている」と日本側に下駄をあずけた。金永南が日本の通信社とのインタビューに応じること自体が異例で、在日系の正雲後継を期待する日本に対して否定的メッセージを発した。
九月に入りスイスで正雲を見かけたという情報が流布されている。後継者争いに巻き込まれ排除(殺害)される危険性を回避するための緊急海外逃避で、姜美淑女史(横田めぐみ)も同行しているとされている。米国情報筋は、姜美淑を米国に亡命させて横田めぐみさんであることを明らかにする工作を仕掛けているともいう。
儒教倫理を口実に北京派の長男・正男を推す支那と、王朝体制継続は担保するが在日系後継擁立による日朝関係の緊密化(文明地政学的位相における大日本帝国の復元)は阻止したい米国、そして強盛大国を全うしたい平壌指導部という三者の思惑が複雑に絡み合う金王朝三代目継承問題が、最終局面に突入していることを暗示する怪情報である。 平成二一年九月一一日識
孤立するイスラエルと姜美淑デビュー (世界戦略情報「みち」平成21年(2009)4月1日第291号)
●G20財務相・中央銀行総裁会議
三月一三〜一四日にかけG20財務相・中央銀行総裁会議がロンドン近郊で開催され、財政出動など「必要な努力を継続する」ことで合意、金融危機の克服に向け協調姿勢を示した。だが、財政出動や金融規制などの各論では米欧の間に意見の相違が目立ち、世界の経済問題の解決を図るには非常に困難な実態が浮き彫りになった。
焦点だった財政出動による景気刺激策について米国は事前にGDP(国内総生産)比二パーセントという数値目標を示し、欧州に追加財政出動を迫った。これに対し、ドイツ、フランスなど財政赤字の増大を懸念する欧州勢は「重要なのは財政支出を増やすことではなく金融規制を整備することだ」と猛反発した。今回の世界的な金融・経済危機の原因を巡って、その主犯である米系ヘッジ・ファンドを放任してきた米国がその責任を逸らす形で財政出動を迫ったことに対する欧州の憤りが爆発したものである。
米欧が対立したヘッジ・ファンドの対策に関しては、「登録制を導入し、情報管理を徹底する」ことを共同声明に盛り込んだ。ただし、米英は規制強化には消極的で、今回の合意は「目くらまし」に近い内容に過ぎず、米欧対立の火種を残したままである。
ユダヤ型の金融工学資本主義の化身ともいえるヘッジ・ファンドに対する批判・非難は、ユダヤ批判を内在した「反ユダヤ主義」気運を欧州や米国内で高めている。オバマ政権も、これまでの米政権と一線を画すかのように、右派シオニストやユダヤ金融主義と距離をおく姿勢を隠していない。
G20会議が開催される前日、米NY連邦地裁は、巨額金融詐欺事件で在宅起訴していた米ナスダック・ストック・マーケット元会長のマドフ被告を市内の施設に拘留した(三月一二日)。マドフは二重国籍を持つユダヤ人で、詐取した金の大半をイスラエルに寄付していた。そして、イスラエルに逃亡する寸前に逮捕された。今回のマドフ拘留は欧州の憤りに対するオバマ政権の配慮でもある。
また、会議の席上で自由貿易の堅持を共同声明に盛り込む要望が出たが、多くの国の反対で葬り去られた。
現在のような世界的不況にあって、各国の為政者は自国企業や国民経済を守るため、輸入に対して障壁を設けて自国企業を守りたいとの政策を最優先してくる。大恐慌時、米国が真っ先にそれを決断した。
当時、米国の経済学者一〇二八名が、他国の報復関税などの反作用を懸念して、フーバー大統領に反対の書簡を送ったが、米政府は無視した。この結果、世界経済のブロック化に拍車をかけ、最後は第二次大戦の引金になってしまった。すでにオバマ米政権は、保護主義姿勢(バイ・アメリカン法)を打ち出している。
自由貿易の堅持に賛成したのは日本、カナダ、ブラジル、トルコ、インド、韓国の六ヶ国だけだった。この事実はほとんどの先進国が保護主義政策に傾斜していることを証明している。事実、世界銀行は昨年一一月のG20緊急会議で保護主義の阻止を確認したが、それ以後にG20を含む国々が合計で四七の貿易制限措置を実施したとの調査結果を発表している(三月一七日)。
今回のG20は金融サミットに向けての準備会合だった。だが、先進国間の溝の深さが目立っただけである。欧米の対立は表面化したが、さらに米英間にも齟齬が生じていた。
四月に開催予定の金融サミットは、英国政府が主導し国際協調を促すことを主な課題に定めている。その準備のため、英政府は米国との綿密な事前の打ち合わせを最優先している。しかし、米財務省は消極的で、ガイトナー長官が英政府関係者からの電話に応じないため英国側は困惑して、G20の準備が大幅に遅れている。オバマ米大統領が今回の金融危機をテコに、英国からの完全独立を遠望していることを裏付ける一幕でもある。
先進諸国は公定歩合を引下げ、多くの国が限りなくゼロ金利になっている。当然、次の政策は国内流通資金の量的緩和で、そのための自国国債の買取である。
また、スイスは自国通貨の売り介入を行ない、通貨の切下げに手を染めている。スイスは「金融立国」を掲げた従来の手法が通用しない現実を突きつけられ、禁じ手ともいえる自国通貨の切下げに踏み切ったのだ。
スイスは世界中の富裕層の脱税資金やアングラ・マネーを秘匿するための秘密口座とその守秘義務を売物にした「金融立国」で栄えてきた。しかし、オバマ米政権はその秘密口座を徹底的に敵視し、全面開示を迫っている。
三月一三日、スイス政府は脱税や租税回避への関与が疑われている金融機関の顧客情報について、経済協力開発機構(OECD)が定めた情報提供のルールを受け入れると表明。四月の金融サミットを前に、OECDが作成中の「非協力的なタックスヘイブン(租税回避地)」のリストにスイスの銀行が入る可能性を回避するため苦肉の策として受け入れ表明したのである。
メルツル大統領兼財務相は、「銀行の守秘義務が犯罪を保護しているわけではない」と、スイス国内の法制度に不備はないことを強調し、「金融市場の国際化、とりわけ金融危機に対応するうえで、租税に関する国際協調は重要性を増している」と、ルール受け入れの理由を述べている。皮肉なことに、深刻な金融危機が、これまで秘密のベールに包まれていたスイスの「金融立国」を消滅させる勢いに弾みをつけている。東西冷戦対立時代、スイスは永世中立国を宣言し、共産国の独裁指導者などの財産も保全してきた。だが、中立国の意義をも喪失してしまった。
金融立国として復権を自負していた英国もその綻びを繕うため主要銀行を実質国有化するだけでなく、自国国債の買取りに踏み切り、長期金利の上昇を食い止めようと必死である。英政府が三月二四日に行なった国債入札では、一三年ぶりに売れ残りが出た。
これまで英国債は英国で発行されている債券のなかでもっとも信頼され、入札時には、常に発行額より応募額が多かった。だが、今回は売れ残ってしまったため、英政府は禁じ手を厭わぬ苦肉の策に手を染めた。米国FRBも自国債の買取を表明した。
●FRB 米国債買取へ
米連邦準備制度理事会(FRB)は三月一八日に開催した連邦公開市場委員会(FOMC)で現在〇〜〇・二五パーセントに設定しているフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を据え置いてゼロ金利政策を維持するとともに、今後、半年間に中長期の国債を最大三〇〇〇億ドル(約二九兆円)買い取ることを決めた。また、住宅公社(フレディマックとファニーメイ)の不動産担保債券も半年間で八五〇〇億ドル買うことも決めた。ドルを無制限に刷って、売れない債券を売れたことにする政策である。
FRBが六〇年代以来となる中長期国債の買取に踏み切ったのは、金融危機と景気後退の長期化で需要が縮小する悪循環を断ち切る意向を示したかったからである。同時に、中長期の米国債を買い支えてきた外国勢力が買い控えている穴を埋めざるを得ない苦肉の策で、これだけ膨大な自国債の購入はドルの威信低下を招く、禁じ手でもある。
しかし、オバマ政権は「背に腹は代えられない」とばかりに「禁断の実」を呑み込む決断を下した。それと同時にFRBの権威を貶めることによって、建国以来、通貨発行権を持てなかった米国の悲哀を払拭し、米国版中央銀行の創設を目論んでいる可能性も否定できない。
FRBは、英欧系の金融機関が所有する一二の連邦銀行の司令塔的な役割を果たしている。換言すれば、米国の通貨発行権は英欧州系勢力の掌中にある。近代国家の独立性は司法裁判権、軍統帥権、通貨発行権を自国が保持していることで担保されている。
世界一の覇権国家・米国の通貨発行権が英欧系の金融機関に握られていることは、米国は真の意味で近代独立国家ではないという歪みの宿痾から現在でも解き放たれていないと見なすべきである。FRBがドル威信の低下を自ら招く禁じ手に踏み切ったことは、英欧系金融機関、ことにその采配者である英国からの真の独立への扉を開く可能性を想定しての決断でもある。
また、ゼロ金利の現在、FRBが講じることができる手段は、証券や債券の大量購入による市場への潤沢な資金供給しかないのも事実である。今回の決定で、FRBの貸借対照表の総資産は三〜四兆ドルに膨らむ見通しで、その肥大化は不況下のなかでのインフレを招く危険性も否定できない。同時に、いくら資金をつぎ込んでも金融危機の病巣である不良債権問題の解決は難航し、公的資金拡大への納税者の反発は日増しに強まっている。
昨年九月、米国証券大手リーマン・ブラザーズが破綻、それを機に世界経済が一変した「リーマン・ショック」から半年が経過した。金融バブルと借金まみれの過剰消費の米国が牽引する成長モデルが崩壊して、「一〇〇年に一度」の世界同時不況に各国は藻掻き苦しんでいる。その本家本元の米国は金融機関に政府資金を投入して支えている。だが、公的資金の一部が高額の賞与に使われた事実が発覚し、米政府は納税者の怒りを無視できない状況に追い込まれた。
公的資金注入を受けて経営再建中の米保険最大手AIGで、公的資金の不適切な使用が相次いで判明。幹部社員に高額な賞与を支給する計画が明らかになったほか、公的資金を受け取ってから取引先の欧米金融機関に巨額な支払いを続けていたことも発覚した。この結果、ウォール街への米国民の不信が頂点に達し、高額なボーナスを受け取ったAIGの幹部宅に抗議のバスツアーが押しかけるなど、一般納税者の憤りが噴出した。しかし、金融立て直しと経済復権を最優先課題とする政府は、ウォール街の協力が必要なため、すべてを敵に回せない事情に呻吟していた。
だが、世論の怒りは日々増大して核分裂のように拡大、「日本式の謝罪」を求める有力議員が現われるほど政治問題にまでなった。国民の不信・憤りと最優先政策推進の板挟みに追い込まれたオバマは、「あらゆる法的手段」を使ってでもAIG高額賞与の支給を阻止するようガイトナー財務長官に指示する、異例な事態にまで発展した(三月一六日)。そして、三月一九日、下院の決議で支給されたボーナスへの九〇パーセント課税が超党派で決まり、AIG騒動はとりあえず一段落した。
オバマはこの窮地にあっても逆バネを効かせ、ブッシュ政権時代には規制が解除されて野放しだった法外な役員給与やボーナスに対し、合法的に規制できる体制を、わずか数日間で規制法として成立させた。この決断は、新興ユダヤ勢力の台頭による圧力によって徐々に政府の規制がはずされ、ユダヤ金融資本や投資家が肥え太っていった「スーパー・キャピタリズム」の喉元に止めを刺したも同然である。さらにいえば、ユダヤ型の工学的な金融主義を排除し、健全な実体経済の道を選択するとしたオバマ政権の「経済革命」への突破口になる可能性を秘めた決断でもある。
これまでは富裕者層への減税で献金ルートを確保してきた共和党が率先し法外な役員給与に「重い課税」を課す法案に賛成票を投じたことは、オバマが当初から目指していた超党派政権の効果でもある。確かに、AIG問題の解決だけを見れば一過性の手当てにも見えるが、基本的に共和党は、彼らの支持者である資本家層を敵に回したと見ることもできる。ただし、敵に回したのはユダヤ系資本家層に限定してのことである。
さらに米世論は、高額ボーナスを支給されたAIG幹部の実名を明らかにするよう求めている。大半がユダヤ人であることを承知の上での要求である。つまり、「反ユダヤ主義」気運が一気に高まっている米国社会の内実を浮き彫りにしているのだ。
同時に、九・一一事件の真相解明を求める世論も高まっており、議会で前政権の関係者を喚問するよう圧力をかけ始めている。ネオコン系勢力の跳梁跋扈を放任したブッシュ前大統領やチェイニー前副大統領を弾劾し、必要とあらば訴追を求める動きである。
オバマ政権が発足後、半年以内に衝撃的な事態が起きると、不気味な予言を行なったバイデン副大統領が、その懸念は去ったと公言したのも、チェイニー系ネオコン勢力の衰えを確信してのことである。同時に、米国のイスラエル離れも目立ち始めている。
●顕著な米国のイスラエル離れ
オバマが、AIG幹部が受け取った高額ボーナスを実質的に没収する法案を成立できたのは、ウォール街を牛耳るユダヤ系金融勢力に対する一般国民の激しい怒りを後ろ盾にしたからである。さらに、イスラエル軍によるガザ侵攻作戦で、無抵抗のガザ市民を多数殺害した事実が公になり、バチカンがホロコースト以上の惨劇と評しただけでなく、反ユダヤ主義を隠さないルフェール派の破門を撤回するなど、世界的なイスラエル批判が一気に強まってしまった。米国もこの事実を無視できなくなり、ネオコン系の完全排除とイスラエル離れに傾斜しつつある。
三月七日、オバマは、クリントン・ブッシュ前政権時代に大量に米政権内に潜入し、隠然たる勢力を持っていたネオコン系のイスラエル・ロビイストたちの活動を全面的に禁止する大統領行政命令を通達した。内容は、政府の要所に配置されているすべてのイスラエル・ロビイストに、少なくとも今後八年間ロビー活動に関わらないという誓約文書に署名するか、そうでなければ四月末までに政府職員を辞職することを要求している。
三月一〇日に公開されたロシア情報部高官のソルチャ・ファアルの報告書によれば、ガザを不法に攻撃し、非戦闘員を多数(数千名)殺害した戦闘行為を「戦争犯罪」と断定して、西岸でパレスチナ民族に対し実行されている隔離政策を「人道に反する罪」としてイスラエルの指導者を起訴しようとしている国際刑事裁判所(ICC)の動きを、オバマが認める合図を出したとされている。
ICCはルワンダにおける大量虐殺が「人道に反する罪」に当たるとして、スーダンのバシル大統領に逮捕状を出し、米国も承認を与えている。現職の国家元首に逮捕状を出すことは前例のないことである。オバマ政権がそれを認めたことは異例中の異例の動きで、ロシア情報部が公にした、イスラエル指導者の訴追に米国がゴーサインを出した可能性も否定できない。
ソルチャ報告書はまた、バルカート・エルサレム市長がクリントンを非難したことにオバマが激怒したとも伝えている。三月上旬にイスラエルを訪問したクリントン国務長官がアッバス・パレスチナ議長の請願を受けてイスラエルによるパレスチナ人家屋の強引な解体に抗議して、「この破壊行為は米国が提言した中東和平協定案に対する違反だ」と語ったことが発端である。また、イスラエルに右派連立政権が発足すればオバマは国交断絶も辞さない意向を持っているとも伝えている。
ロシア筋の情報を全面的に受け入れるのは危険であるが、イスラエル政府が今回のヒラリー訪問を冷遇したことは事実である。さらに、オバマ政権がロシアとの蜜月関係を急速に構築しているのも事実であり、ネオコン系勢力完全排除を狙うオバマの真意をロシアが先取りして、イスラエルを牽制している可能性もある。
さらに、ポーランド政府はアウシュビッツにおけるユダヤ人被害者の数を六〇〇万人から一五〇万人に訂正、ローマ法王が追認する異例な声明を発表、英独仏など欧州首脳も同意している。一月二七日、国連でホロコースト記念のセレモニーが行なわれたが、多数の国連職員が欠席したのもホロコースト神話が一気に崩壊している内実を反映している。
一連の動きは、今回の世界同時不況がユダヤ系金融資本の詐欺的手法に国際金融世界が攪乱されて発生したことに対する、ユダヤ不信(反ユダヤ気運)の現われである。
複数のネット情報によれば、三月中旬、CIAが「イスラエルが二〇年後には消滅する」という報告書を提出したとされている。同報告書は、多くのイスラエル人が二重国籍を所持しており、将来は米国や欧州、ロシアに移住する気持ちがある。そして、二重国籍を有していないイスラエル人たちは今、米国や欧州の国籍を取得しようと躍起になっている、としている。
他方、パレスチナ人はどんどん子供を生んでおり、ユダヤ人とパレスチナ人の人口バランスが、将来、逆転することが明確になっている。そうなれば、残されたユダヤ人もイスラエルを離れることによって、自身の安全を確保しようと考え、イスラエルからの脱出は本格的なものになろう、というのが報告の骨子である
今回、CIAが大胆な報告書を出せたのは、クリントン第二期政権時に実質的に崩壊したCIAが立ち直って、イスラエル情報機関・モサドの関与を完全に排除できるまで回復できたからだともされている。
米国からも距離を置かれ始めたイスラエルのオルメルト暫定首相は、「大イスラエル構想は死滅した」と発言した。その真意は、ガザ侵攻作戦の結果、世界的な孤立を招く思わぬ現実に直面し、シャロンの決断の正しさへの認識不足を懺悔したものである。
オルメルトの懺悔発言に合わせるかのように、ガザを攻撃した際に、無辜の市民を殺害したとする兵士の証言が相次ぎ、イスラエル国内で波紋が広がっている。三月一九日、イスラエル軍は、軍警察に「作戦上や道徳上の問題」について調べるよう命じたと発表。
地元紙によると、ガザから帰還した複数の兵士が二月、同僚らによる民間人殺害の実態を入隊前に通っていた教育施設で証言。事態を重く見た施設の責任者が、軍上層部に「告発」したとされている。民間人殺害については、メディアや人権団体が住民の声として伝えてきたが、イスラエル兵の証言で明らかになるのは極めてまれである。
オルメルトは、停戦を決めた一月一七日の国民向けのテレビ演説で、「罪のない市民を傷つけることにつながる疑いが少しでもあれば、我々は行動を控えた」と説明していた。一方で、イスラエル軍はガザ攻撃にかかわった部隊司令官の名前などがわかる報道を禁止。政府も一月下旬、外国で軍幹部や兵士が戦争犯罪などで訴追された場合には、全面的な支援を保証する方針を閣議決定していた。しかし、一介の兵士の内部告発に基づいて、イスラエル軍警察が動き出したのは、国際的なイスラエル不信・非難の高まりに加えて頼みの綱であった米国のイスラエル離れをなんとしてでも食い止めたいとして、反省する意志があるとの印象を演出する必要性に追い詰められているからである。
オバマ政権は、ネオコン系勢力の一掃を強く印象づけたうえで、彼らが「悪の枢軸」と決めつけたイランに対して、真剣な対話を呼びかけている。
●米 「率直な対話」をイランに提案
オバマは、イラン暦の新年にあたる三月二〇日、ビデオメッセージを公表し、核開発やテロ支援問題で対立続くイランに対し、「米国とイラン、国際社会の間で建設的な関係を推し進めたい」と訴え、関係改善を呼びかけた。
オバマは、「ノウルーズ」と呼ばれるイランの正月に際し、「イラン・イスラム共和国」という正式呼称を使って同国政府と国民に祝意を表明。「われわれは長期にわたる深刻な相違をかかえている」と両国関係の厳しい現実を指摘したうえで、「わが政権は外交を通じて、あらゆる課題に取り組む」と関係打開への意欲を示した。さらに、「率直で相互尊重に基づく対話を求めたい」と述べ、双方が対話のテーブルに着くことを提案した。
イランの核・弾道ミサイル開発や中東地域でのテロ支援活動については、「米国はイランが国際社会で正しい地位を占めることを願う」としつつ、「その地位はテロや武器によってではなく、平和的行動の責務を果たすことでのみ得られる」と指摘し、平和路線への転換をイラン指導部に求めた。
米国はテヘランの米大使館占拠人質事件を受け、一九八〇年にイランと断交していた。オバマは、大統領選の段階からイラン首脳との直接対話に意欲を示していたが、今回初めて、正式に「率直な対話」をイランに提案した。
しかし、一方で、二月二五日には、イランの軍用無人機が国境を越えてイラク領空に侵入し、バグダッドの北東約一〇〇キロ付近で米軍の戦闘機が撃墜した。オバマ政権が発足後、米国とイランの間で戦闘行為が確認されたのはこれが初めてであった。また、三月一二日には、投資規制など九五年から続くイランへの経済制裁を一年間延期する方針を表明している。さらに、米司法省とFBIは一八日までに、米軍ヘリ用のエンジンや爆撃機用高性能カメラなどを、第三国経由でイランの軍事企業に不正輸出したとして、イラン人の男性を逮捕した。
オバマによるイランへの外交対話の呼びかけは、米新政権が国際協調を優先させる柔軟性への転換として注目されている。だが、その反面、イランの核兵器開発の一層の進展やイスラエルの強硬姿勢という現実への対処期限に迫られている米国の苦しい立場を反映するものでもある。
オバマ政権がイランとの対話路線を模索する意向を公にして以降、イスラエルは、自国のジェリコV長距離ミサイルでイランの核施設を攻撃できるとの強がりを言い始めている。米国は現段階では、イスラエルによるイランへの単独攻撃を認めていない。イスラエル側は、そのことを承知のうえで、対イラン単独攻撃の能力を喧伝している。さらに、オルメルトは、イスラエルにとって危険であれば、世界中のどこでもそれを阻止する行動を起こせると力説し、米国に頼らなくても自らの身は守ると発言している。
今年の一月、スーダンで輸送用トラックが空爆される事件が起きたが、誰が空爆したかは不明のままであった。アメリカ軍かイスラエル軍機によるものだという情報が流されたが、米政府はこの空爆に何ら関与していないという声明を即座に出す一方、イスラエルは沈黙を守った。しかしオルメルトは、輸送用のトラックには射程七〇キロのイラン製ファジル型ミサイルがあったと示唆していた。オバマ政権がイランとの対話路線にこだわり続けるなら、イスラエルはたとえ米国を敵に回してでもイラン単独攻撃に踏み切るという、切羽詰まった威嚇である。
三月二五日付けのイスラエルのハアレツ紙は、「イスラエルに右派政権が出来れば、和平交渉は容易ではない」とオバマが表明したと報道した。米国が右派政権の発足に苛立っている事実を、国民に周知徹底させる必要性を勘案した報道である。
イスラエルでは右派リクードのネタニヤフ党首が、連立政権立ち上げに邁進している。米国の懸念を打ち消すための中道右派カディマとの大連立工作に失敗。その結果、とりあえず、極右政党「わが家イスラエル」と宗教右派政党「シャス」と右派連立で合意した。だが、議席の過半数を制することができずにいた。
ネタニヤフは、右派政権の印象を打ち消すため、中道左派の労働党ときわどい連立交渉を行なって何とか合意にこぎ着け六九議席を確保し、連立政権の概要をやっと固めるまでに至った(三月二六日)。しかし、連立参加を決める労働党の中央委員会では、参加賛成六八〇、反対五〇七の僅差であった。この結果、労働党が分裂する可能性もあって、連立政権の基盤は安定したものではないため、三月末の時点で、正式な発足にまではいたっていない。
アフマディネジャド・イラン大統領の側近は、オバマがビデオメッセージを出したことについて、「過去の相違を乗り越えたいとの意思は歓迎する」と述べ、「米政府は過去の間違いを認め、修正しなければならない」と指摘した(三月二〇日)。
翌二一日、イランの最高指導者ハメネイ師は、「われわれは(米国の)いかなる変化を見ることもできない。あなた方が態度を変えれば、われわれも態度を変えるだろう」と述べ、米側に具体的な対イラン政策の変更を求める姿勢を強調。オバマに対しては、「あなたのいう変化とは何か。米国はシオニストへの支持を止めたのか」と、核開発疑惑をめぐる対イラン経済制裁の解除などを求めた。
オバマの呼びかけに対するイランの反応は従来の要求を繰り返したもので、直ちに直接対話に結びつく可能性を期待できるまでには至っていない。しかし、イランは、ヒラリーの呼びかけに応えて、三月三一日に開催されるアフガンの安定化に向けた周辺諸国による、国際会議に参加する意向を公にし始めている。米国が呼びかけた間接対話にイランが応じる意向を示したことで、直接対話への道筋が切り開かれる可能性が大きくなっている。
オバマはイランとの対話の進捗次第によってはイラクだけでなくアフガンからも米軍を撤退させ、内政、ことに経済再建に全力を投入したいとの意向も見せ始めている。
●米 アフガン新戦略
三月二六日、AFP通信は、北大西洋条約機構(NATO)がイラン政府と初めて非公式な接触をしたと報じた。同報道によると、NATOは四月初旬に開く首脳会議でアフガンへの対処方針を含む宣言を採択する予定で、アフガンの隣国イラン側と今後のアフガン戦略について意見交換をした。
NATOがイランと接触したのは、イランが現在のイスラム共和制に移行した一九七九年の革命以来で初めて。イランの外交官が先週、NATO本部のあるブリュッセルでNATO高官と協議したとされている。
NATO加盟の欧州諸国は、オバマ米政権がイランとの直接対話を呼びかけたことを歓迎し、アフガンからの撤退を念頭に置いたうえで、イランとの協力を模索し始めた。当座の狙いは、欧州諸国の軍事物資をイラン経由でアフガンに運び込むことにあり、米国の了解も取り付けている。
イランと国境を接するヘラート市を中心とするアフガン西部地域は、民族的・歴史的にはペルシア(イラン)の一部で、ヘラート周辺を支配する豪族(知事)は伝統的にイランと緊密な関係にある。イラン政府が欧州諸国の軍事物資を同国経由でアフガンに運び込むことを容認すれば、西部地域一帯からアフガン全土に対するイランの影響力浸透につながる。
イランにとってアフガンへの浸透が強まることは、かつてインドから中央アジアまで支配していた因縁をテコにした文明地政学位相におけるペルシア帝国の復権も夢ではないことになり、NATOの協力申し込みは大国復権への扉を開くことにもつながる魅力的な要請である。同時に、同じく文明地政学的な位相の復権が著しいオスマン・トルコへの対抗心を満足させることにもなる。欧州諸国はイランの野望をくすぐってアフガンからの撤退を目論むのと同時に、米国のアフガン支配に協力するようイランに対して働きかけている。
翌二七日、オバマはアフガン政策の新たな包括的戦略を発表し、アフガン軍、警察の育成、自立の訓練が主要任務の米部隊約四〇〇〇人を今春増派し、行政執行、統治能力の向上を目指し数百人規模の外交官らの文民も派遣すると述べた。
すでに米国は今年夏までに米軍部隊一万七〇〇〇人をアフガンへ追加派兵し、政権を追われたイスラム強硬派勢力タリバンなど武装勢力を掃討する方針を表明している。四〇〇〇人の増派でアフガン軍、警察を二〇一一年までに二一万人以上の規模に拡大させる。 オバマは国際テロ組織アルカイダがアフガンの隣国パキスタンに拠点を設け、新たな対米攻撃を画策していると警告。包括戦略の狙いは、アルカイダの根絶にあることも鮮明にした。そのうえで、タリバンやアルカイダ系勢力が活動の温床にしている部族地域などを抱えるパキスタンの安定化を狙い、今後五年間にわたって年間一五億ドル(約一四七〇億円)もの非軍事援助を提供するとも言明した。
同時に、アフガン・パキスタン問題のため、日欧など同盟国、中央アジア諸国、ペルシア湾諸国や支那、ロシア、インド、イランを網羅した連絡調整のグループを設ける考えも示した。ブッシュ前政権の軍事力頼みのアフガン政策から、国際社会を引き込んだ構想へと方針転換を明確に打ち出してきた。
今回発表されたオバマ政権のアフガン新戦略には、タリバンとの対話・和解を促すための諜報戦略を重視していく意向が秘められている。
前日の二六日、米国のブレア国家情報長官は、アフガンでの米軍事作戦について、作戦成功には諜報での支援強化が不可欠との考えを示した。長官はこの中で、米国はアフガン地方の権力構造への理解が充分でなく、アフガン・パキスタン国境周辺で活動するイスラム武装勢力の活動に関する情報も乏しいと指摘。イラク軍事作戦での戦闘部隊への諜報支援と同一レベルに引き上げることが必要だと強調した。
米国は当面、欧州NATO諸国のイラン活用を積極的に後押ししてアフガン問題へのイラン介入を促進し、最終的にはイランと米国によるアフガン共同統治まで遠望して、米軍のアフガン撤退への出口戦略を構想している。しかし、米国のタリバン懐柔・融和路線、すなわち譲歩はタリバン優勢を加速させるだけでなく、パキスタンを混乱させ国家崩壊の危険にさらす可能性も否定できない。その懸念があるからこそ、今回、パキスタン向けの援助を大幅に拡大した。
パキスタンでは三月一二日から各地で法曹関係者と野党支持者による反政府デモが激化し、ザルダリ大統領は昨年の政権発足後、最大の窮地に追い込まれていた。一六日、ザルダリ政権はチョードリー前最高裁長官の復職など、デモを主導する野党側の要求を受け入れた。同日、イスラマバードで予定されていた大規模デモの直前の決断で、政権側が野党に屈することで危機はひとまず回避することはできた。その内実は、大統領が米国と軍の圧力に抗しきれなかったからである。
今回の失態でザルダリは求心力を失い、今後、大統領辞任要求が強まるだけでなく、タリバン勢力を活気づけることになる。同時に、印パ対立にも拍車がかかることになる。
印パ対立の激化は、支那周辺地域の不安定化につながるが、北東アジアでは北朝鮮が米中を刺激し始めている。
●北朝鮮 ミサイル発射を通告
過去数ヶ月にわたって、米軍筋は北朝鮮が新型ミサイルの発射準備を行なっていると、詳細な情報を流し続け、その脅威を煽ってきた。また、北側も、米国筋の煽る脅威を追い風と受け止めたかのように、発射準備を進めていた。 三月一二日の朝鮮中央通信によると、北朝鮮は、衛星発射をめぐり国際民間航空機関(ICAO)と国際海事機関(IMO)に「必要な資料を通報(提出)した」と発表。また、衛星登録に関する協約など関連する二件の宇宙条約にも加盟したと明らかにし、ミサイルではなく人工衛星を打ち上げると正式に通告した。韓国の聯合ニュースは情報消息筋の話として、北朝鮮が四月四日から八日の間に衛星を発射するとIMOに通告したと報じた。
ミサイル発射やロケット打ち上げは、ICAOやIMOが、航空機や船舶の安全を確保するため事前通告の義務を課している。今回の両機関への資料提出や関連する宇宙条約への加盟は、北朝鮮の衛星発射の準備が最終段階に差しかかっていることを示すとともに、発射に対する国際的な非難をかわし、「衛星発射」の正当性を確保する狙いを秘めた強かな通告である。
同時に北側は、米国からの食糧支援を拒否すると通告したり、中朝国境付近で支那系と韓国系の二人の米国人女性記者を拘束し、平壌に移送するなど、北流儀の対米工作を活発に行なっている(三月一七日)。また、支那の温家宝首相は、北京を訪れた金英逸北朝鮮首相に対し、ミサイル発射計画への懸念を表明し自制を促したが、「人工衛星の打ち上げ」と軽くいなされ、説得に失敗した(三月一八日)。すなわち、北側は、もはや六ヶ国協議は意味がないと北京を袖に振って、米国だけを眼中においてのミサイル発射であることをしきりに誇示していた。
米側は数回にわたって弾道ミサイル迎撃実験を行ない、米陸軍の防空部隊は戦域高高度地域防衛(THAAD)迎撃弾二発を連射する戦法を初めて公開の場(ハワイ・カウアイ沖)で実施し、標的の破壊に成功したことを誇示し、北のミサイルを迎撃する意志を示した(三月一八日)。そして米国は、わが国にも北ミサイルの迎撃を命令し、日本政府はミサイル防衛(MD)システムで迎撃する方針を決め、浜田防衛相は自衛隊法八二条に基づいて自衛隊に破壊措置命令を発令した(三月二七日)。
果たして、日本が装備しているMD・PAC3で迎撃できるかどうか疑問であるが、政府は決断を下した。米軍情報筋は北ミサイルが日本上空を通過してアラスカ沖に到達すると予測し、アラスカ周辺に展開する二〇ヶ所以上の拠点から迎撃する準備をしているとされている。わが国が迎撃に失敗して米軍がそれに成功すれば、わが国への新型MDシステムの導入、すなわち、高額な武器売却の好機が来ると米国は期待している。穿った見方をすれば、日本人拉致問題と同様に、今回のミサイル騒動には米朝の出来レース的な側面も否めないのだ。
その一方で、北側はわが国に微妙なメーッセージも送っている。
拉致被害者田口八重子さんの兄と長男がソウルで北工作員金賢姫と面会した際、彼女の口から八重子さんだけでなく、横田めぐみさんが生存していることを示唆させた(三月一一日)。さらに、「北朝鮮のプライドを守り、心を動かすことが大事だ」とも言わせた。北のプライドとは「大日本帝国の残置国家」のことであり、また「金王朝は疑似天皇制首領制度」との意志を伝えたかったものであろう。
同時に、痩せ衰えた金正日の写真をこれ見よがしに配信し、三代目継承の時期が切羽詰まっている。三代目継承に失敗したら「疑似天皇制」が崩壊し、「大日本帝国の残置国家体制」も瓦解してしまう。そうなったら日本にとっても大きな痛手であろうとの、自虐的な対日ラブコールと見なすことができるメッセージを発している。
また、北朝鮮に拉致された被害者の蓮池薫氏の兄であり、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の事務局長、副代表を務めた透氏は、当初は、「拉致は国家テロ。北朝鮮への経済制裁を行え」「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」といった発言を繰り返すなど、対北強硬姿勢を主張していた。
だが、その彼が数年前から変身し、日朝間の真摯な話合いの必要性を訴えている。最近では、横田さんご夫妻に、外国でよいから孫(めぐみさんの子供)に会ったほうが良いとしきりに働きかけている。今なお金王朝に忠誠を尽くす弟の感化を受け、「大日本帝国の残置国家」としての北朝鮮の内実に覚醒し、横田めぐみさんの生存を公にしたいと焦る金王朝の意向を代弁する意志の現われであろう。
もしも、金王朝が横田めぐみさんの生存を明らかにするなら、彼女自身の口から「私は一三歳の日本人少女ではありません。ロイヤル・ファミリーの一員の朝鮮人(姜美淑)として、日朝友好の架橋になるよう努めたいと思います。日本に帰る意志はありません。お父さんお母さん、あなたの『娘』を日本から応援してください」と訴えて、旧大韓帝国の元皇太子で大日本帝国の李王・李垠に嫁いだ旧皇族・梨本宮方子妃と同じ運命を全うする意志を表明するものと思われる。
金王朝周辺では、めぐみさんを国際デビューさせる準備が進んでいる。金王朝の側近筋が三代目後継者を三男の正雲に決めた可能性が高く、彼は姜美淑を母・姉と慕っている。彼女に金王朝の国母として日朝間の架橋を担わせ、拉致問題に対するわが国世論の憤りを払拭させ、莫大な援助を取り付けたいのである。
日朝関係は日本が脱米自立する意志を固めない限り、日本に対する平壌の複雑な愛憎に翻弄されるだけである。
平成二一年三月二九日識
ADLの変心と安倍首相辞任 (世界戦略情報「みち」平成19年(2007)9月15日第257号)
●トルコでイスラム系大統領誕生
八月二八日トルコ国会は大統領選の第三回投票を行ない、エルドアン首相率いる親イスラム系与党、公正発展党(AKP)のアブドラ・ギュル外相を大統領に選出した。政治や社会から宗教的要素を排除する厳格な政教分離(世俗主義)を国是とする現代トルコで初めてイスラム系大統領が誕生した。
セゼル大統領を継ぐ第一一代大統領選出をめぐり、トルコでは賛否両論が飛び交っていた。与党がギュルを大統領候補に推した時点で、トルコ軍部はギュル夫人がスカーフを着用していること、ギュル自身がイスラーム保守派であること、AKP自体がイスラーム保守党であることなどを理由として、トルコがケマル・アタチュルクの世俗主義路線からイスラム系保守の国家に戻る恐れがあると、ギュルの大統領就任に反対してきた。
トルコ軍の内部からは、もしギュルの大統領就任が決まるようであれば、クーデターも辞さないとの立場を示唆する強硬な反対意見も流されていた。また、トルコの野党CHPなど世俗路線を採る社会主義政党などは、ギュルの選出に反対し、議会での大統領選出討議をボイコットし、イスタンブール、アンカラなどで一〇〇万人集会も行なった。しかし、その参加者は全国から集められた、人為的なものであることがわかった。
今回のギュル大統領誕生は国会議員選挙でAKPが四七パーセントも得票した後でもあり、ほぼ予測できるものだった。しかも、AKPに加え民族派政党NHPも、ギュルの大統領誕生に貢献した。すなわち、今回の選挙結果は、大半のトルコ国民の意思が反映された公正な結果であったといえる。
しかし、現代トルコでは、どんな形であれ、「宗教的要素」が絡むと問題が微妙かつ複雑になりかねない特殊性が潜んでいる。その主たる原因は、米国のブッシュ政権が、キリスト教とイスラム教総体の「宗教戦争」に発展しかねないイラク戦争に踏み切ったことにある。トルコはイスラム文明圏に属しているが、東西冷戦対立時代には、NATO一員として西側に与した米国の同盟国である。しかし、冷戦が終結して以降の世界情勢を「文明の衝突」と定義づける米国は、かつての同盟国をも米国と衝突する対象だと規定して、トルコの苦悩を刺激している。
ブッシュ政権をしてイラク戦争に踏み切らせたのは、ネオコンといわれる急進シオニスト勢力である。彼らは、みずからの最終的な宗教的悲願である「大イスラエル主義」成就の序章としての「中東大混乱状況」をつくり出すためにイラク戦争を仕掛けた。だが、あまりにも性急なネオコン系の仕掛けはイラクを混沌状況に陥れただけで、今ではブッシュ政権から忌避される運命を強いられている。しかし、その代償は厳しく、イラク国民に多大な苦痛を強いるだけでなく、米国の威信低下、世界的な秩序不安定化を誘発しかねない不気味な情勢を醸し出している。
かかる情勢の下で、かつてオスマン帝国を経営したトルコの文明力に対する期待感が高まっている。異文明勢力を融和的に統合統治した帝国の経営からは、文明の衝突を抑止できる叡智を学べる可能性がある。そして世俗国家の体験をも経た現代トルコの影響力の拡大が「中東大混乱状況」を緩和する触媒になるのでは、との切実な期待感もある。それゆえに、トルコにおけるイスラム勢力の動向が内外から過度に注目されていたのだ。
AKPはその前身である「福祉党」が軍部に排斥された苦渋の歴史を経験している。だが、AKPはその苦い体験を政策に生かしつつ政権与党としての実績を積み重ね、自派勢力から悲願の大統領を選出した。
ギュルは二八日に国会で大統領就任宣言を行なった後の演説で、「世俗主義はトルコの基本原理だ」と述べ、「国家と宗教の分離」の原則を改めて強調するとともに、世俗主義の枠内で個人の宗教的権利を擁護するという姿勢も表明した。演説はキリスト教圏の現代西欧社会からみても、特に違和感のない内容であった。
トルコにイスラム系大統領が誕生しても、内外に向けて世俗的価値規範の尊重が宣言されたのは、イスラム世界から「文明の衝突」位相を融和しうる文明的叡智が提示されるであろう兆しとも受けとれ、慶賀の至りである。
●沈黙に徹するトルコ軍
イスラム共同体の最高指導者である「カリフ」を擁しつつスンニ派世界に長らく君臨した多民族国家・オスマン帝国(一二九三〜一九二二年)の滅亡に伴って、現代トルコは歩み出した。建国の父ケマル・アタチュルクの指導の下で、「国家と宗教の相互不介入」を抱え、イスラム的制度の完全排除と宗教の国家管理・統制を通じて社会を世俗化に向け強制的に誘導する政策をとった。その重要な担い手となったのがアタチュルクとともに西欧列強からの独立戦争を戦ったトルコ軍である。軍が今も「世俗主義の守護者」を自認する理由はここにある。
トルコ軍は一九五〇年の複数政党制による初の総選挙後も、「世俗主義の危機」とみると政治介入を繰り返し、九七年にはAKPの前身「福祉党」を連立政権から追放した。「福祉党」までのイスラム系勢力は軍との直接対決を避けるため、反世俗主義を公言することは少なく、反西欧的な主張が強い一方で、経済など具体的な政策実績には乏しかった。
こうした失敗に学び、表だったイスラム色を極力排し、政策政党として再出発したのが、現首相のエルドアンやギュルら改革若手派が結成したAKPである。AKPは〇二年の総選挙で、世俗派の支持をも集めて圧勝。政権の座に就くや、トルコ多年の悲願であるEU加盟実現に向け、経済・政治改革や欧米との関係強化に着手、〇四年に加盟交渉開始の合意を取り付けた。
こうした流れでは「世俗主義擁護」を大義とする軍の政治介入は、欧州の目にも、「非民主的」に映るという逆説的な状況が生まれている。さらに「政教分離」一点張りで、有効な政策を示せない世俗主義派への国民の幻滅が去る七月の総選挙でのAKPのさらなる躍進につながった。
「イスラム世界」は多様性に満ちており、イスラム復興運動の多くは「イスラム法の厳格な実施」を標榜し、急進勢力は「カリフ制の復活」すら唱えている。これに対し、トルコのイスラム復興運動は、イスラム法について語ることは少ない。むしろ自由と民主主義・人権・信教自由といった欧米の価値観とも一致する形での、「宗教復権」を目指している。そしてAKPの地道な努力は、特殊な世俗主義と呼ばれる基本原理的な国是の変容を迫る新局面も切り開いている。すなわち、トルコ版イスラム文明維新運動であり、今回の大統領選出は、その具体的な成果の現われである。
ビュユクアヌト総参謀長ら軍の幹部は、新大統領の就任宣言をボイコットすることで意地を通した。しかし、クーデタの発動を示唆するような強圧的な姿勢は影を潜め、軍部は当座は沈黙に徹することこそが、保身の要との姿勢に転じている。今後、よほどの異常事態に直面しない限り、軍がクーデタで政権を打倒する可能性は少ないだろう。すなわち、トルコが欧米に警戒を喚起するようなイスラム国家に変貌することは、まずあるまい。
今後のトルコ政局でも、政治と軍部の間で、ある種の緊張関係は継続するであろう。だが、改革勢力の政権側と、護憲勢力の軍部がお互いにどこかで「最後の一線」を引き、双方が一方的に踏み越えないとした暗黙のルールを確立できれば、イスラム圏での民主主義の最大の成功例を築きあげることになる。すなわち、トルコにイスラム系大統領が誕生したことは、民主主義と世俗主義にとっては大きな試練だが、これを乗り越えれば、衝突を繰り返すイスラム世界への強力なメッセージとなるはずである。
さらに、トルコがオスマン帝国の叡智を掘り起こし、文明的な「型示し」を発揮できれば、中東地域における「文明の衝突」に対する緩衝地帯の役割を果たせる。そうなれば、世界的な「文明の衝突」に困惑し疲弊感を強める米欧だけでなく、アイデンティティ・クライシスに揺れるイスラエルの混沌に手を差し伸べ、国家生存を担保することにもなる。だが、トルコの文明力台頭を忌み嫌うネオコン系は、アルメニア虐殺問題を槍玉にあげてきた。
●ADLの変心
ローブ大統領次席補佐官の辞任が公表された直後、チェイニー米副大統領の周辺からはイラン敵視論が強まっている。彼らは、革命防衛隊をテロ組織に指定することを訴え、空爆論に限定されているとはいえ、イラン軍事制裁発動の必要性を執拗に喧伝している。
チェイニーとその傘下のネオコン系勢力は、ブッシュ政権のなかでも最もイスラエルと親しい勢力であるとされてきた。だが、彼らがやっていることはイスラエルを国家的危機に追い込んでいるに等しいとの懸念がイスラエル国内に生じている。ことに、ADLの変心で、その懸念が強まっている。
イスラエル空軍領空侵犯問題によりシリアとの緊張拡大を懸念するオルメルト政権は、シリアとの和解交渉の仲介をトルコに正式に依頼した。だが、エルドアン政権がシリア仲介に動いた直後の八月二一日、在米イスラエル・ロビー有力組織「名誉毀損防止連盟」(ADL)のアブラハム・フォックスマン会長が、第一次大戦中にトルコがアルメニア系住民を殺害したことに関し従来の同組織の見解を突然変えて、「あれは虐殺(ジェノサイド)だった」と宣言した。
ADLの変心はトルコの政界や世論を激怒させ、トルコ政府はイスラエル政府に宣言撤回を求めた。オルメルト政権は「あれはADLが独自にやったことで、この問題に対するイスラエル政府の見解は何も変更されていない」と釈明した。アルメニア人問題について、これまでのイスラエル政府は、「両民族が対話をすべき」との立場を堅持し、欧米の一部に見られるような一方的にトルコを非難する立場には、与してこなかった。むしろ、ADLの突然の変心に戸惑いを隠しきれない。
トルコが非難される「アルメニア人虐殺」は、最初から話が誇張されている。第一次大戦でオスマン・トルコ帝国と戦って勝利した英国が、戦時中にマスコミを動員して話を誇張して国際世論がトルコを非難するように仕向けた工作で、英国お得意の誹謗中傷作戦にすぎない。だが、戦後も延々と捏造話が「真実」としてまかり通り、世界中の人々を騙し続けている。日本を貶めている「南京大虐殺」や、イラクのフセイン大統領に着せられた「クルド人虐殺」と、同じ構図である。
従来ADLは、「ジェノサイド」という言葉は、ユダヤ人虐殺の悲劇のみをさす神話的な言語概念で、他の民族に関しては使われるべきではないとしてきた。コソボ動乱でその言葉が使われた時、「エスニク・クレンジング」(民族浄化)を造語したほど、彼らは「ジェノサイド」という言葉を特別視してきた。しかし、今回、その前例を打ち破ってまでトルコを非難する立場に急変心した。なぜにADLはトルコがイスラエルとシリアを仲介してくれようと動き出した、その時にトルコを激怒させる宣言を放ったのか?
ADLの変心はトルコを激怒させることに主眼を置いた誹謗中傷作戦の発動である。イスラエルがトルコの仲介でシリアとの和平交渉を進めていることへの不快感をアルメニア人問題に託して両者を牽制する意図が明白に滲み出ている。また、トルコにイスラム系の大統領が就任することが確実視されていたなかでの、トルコ誹謗である。すなわち、ネオコン系勢力は世界的な「文明の衝突」位相を緩和させる如何なる動きをも敵視するとの意図をむき出しにして、同胞国家イスラエルまで貶めることを厭わないとの本音を顕わにしたわけである。
チェイニーとネオコン系は、執拗にイランを挑発している。挑発された側のイランがイスラエルを牽制するため、ハマスへの支援を強化すれば、西岸がハマスに乗っ取られる時期を早めることにもつながりかねない。その意味で、チェイニーのイラン敵視策は、昨夏のレバノンでの戦争と同様、イスラエルを戦争(中東大混乱状況)の当事者に引っ張り込もうとする意図が隠されている。つまり、「大イスラエル主義」を奉じる勢力は同胞国家イスラエルが中東の一国として生存すること(世俗国家志向)を許さないと認定している可能性が高い。さらには、救世主生誕のため、同胞が犠牲になることも神の定めと決めつけて、イスラエルの壊滅こそハルマゲドンの神髄とさえ考えているかも知れない。
ADLの変心は、米国内における「文明内戦」がその激化の過程で在米ユダヤ社会内部における「文明内戦」に変質しつつあることを示唆している。それはまた同時に、「ユダヤ主義」と「シオニズム」との闘いを意味する。そして、在米ユダヤ社会の内紛は国際ユダヤ社会まで亀裂を拡大している。
昨年春ハーバード大学電子掲示板に掲載された、ジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学教授)とスティーブン・M・ウォルト(ハーバード大学教授)の共著「『イスラエル・ロビー』と米国の外交政策」と題された論文が加筆修正されて、単行本として英国を中心に世界で同時に刊行された(日本版は講談社から出版)。同論文をめぐってADLなどまさに著者たちが問題にしている在米「イスラエルロビー」から、「反ユダヤ主義」のレッテルで激しい攻撃に曝された経緯も掲載されている。二人の著者はユダヤ系だともいわれており、国際ユダヤ社会の懊悩と亀裂、対立が如何に深まっているかを伝える刊行物である。
米国社会の「文明内戦」の熾烈化とそれに伴った米国の迷走は、ADLのトルコ敵視に転嫁されるなど、中東の情勢をさらなる混迷に陥れる危険性も孕んでいる。
●英軍バスラ中心部より撤収
九月三日、イラク駐留英軍は南部の主要都市バスラの中心部からの撤収を完了した。今回の撤収は、「今秋」にも予定されているバスラ県の治安権限移譲と駐留部隊の大幅な兵員削減を睨んだ動きの第一歩である。
英政府は治安権限をイラク側に移譲している。だが、治安状況の改善を確信しているわけではない。逆に、これ以上のイラクの泥沼化に引きずられる限界を痛感し、英軍駐留の意味はないとの判断を明確にするため、バスラ中心部からの撤収を決断した。イラク参戦に積極的だったブレア政権に代わりブラウン政権が誕生したからこそ下せた英断である。ただ、ブラウン首相は英軍の早期全面撤退説を否認し、米英間に溝は生じていないことを強調している。
ブッシュ米大統領は、同日の未明に英軍がバスラ中心部から撤退した九月三日、予告なしにイラクを訪問した。ブッシュはライス国務長官を帯同し、首都バグダッドではなく西部アンバル県のアサド空軍基地に到着。一足先に同基地に到着したゲーツ国防長官、ベース統合参謀本部議長、ペトレイアス駐留米軍司令官ら軍幹部、クロッカー駐イラク大使らと合流した。
スンニ派の武装勢力の活動が活発なアンバル県を選んだのは、地元部族が米軍と協力してイスラム過激派を締め出す動きを示していることを積極的に評価する意向を示すことに狙いがある。英軍がイラク側に治安権限を移譲することで部隊の撤収環境を整えた前例を追認し、米部隊も同様の選択肢を考慮していることを、米議会とマリキ首相に示す意向をも秘めての演出である。また、ブッシュ政権はマリキ批判を強めており、彼らが米国の立場を尊重しないなら、イラクを見放すことも覚悟せよとの無言の威嚇もそこには籠められている。
米政界の今後の焦点は、米軍の削減問題にある。ブッシュは訪問先イラクで、「今の成功が続けば、米軍の要員を削減しても同水準の治安を維持できるとの報告を受けた」と語って、駐留米軍削減の可能性についても示唆した。すなわち、今回、政権幹部がそろってイラクを訪問したのは増派戦略の成功を印象づけるためで、政治的判断より現場の司令官など軍事専門家の冷静な判断と評価を優先させる必要性を訴えることで議会の矛先をかわしたいとの意向が滲み出ていた。
ブッシュのこのイラク訪問を受け、ペトレイアス駐留米軍指揮官は米議会で、米軍増派について「多くの地域で敵から主導権獲得に成功、治安面では進展があった」と軍事面での成果を強調する証言を行なった(九月一〇日)。同時に、来年七月までに三万人規模を削減し、増派前の一三万人水準に戻せるとの見通しを明らかにした。しかし、具体的な削減計画については「時期尚早」として来年三月までに判断すると述べるにとどまった。
政権幹部のイラク訪問に先立つ八月二九日、W・ポスト紙は、ブッシュがイラクでの軍事作戦に関連して、最大五〇〇億ドル(約五兆七〇〇〇億円)の追加拠出を九月議会に要請する計画だと報じた。同紙によれば、追加戦費の要請は、イラク駐留司令官らが議会証言を行なった後に発表される見込みだとされている。すなわち、予告なしの政権幹部のイラク訪問は追加戦費を獲得するための議会対策だったと断定しても差しつかえない。だが、あまりにも巨額な予算であり、チェイニー周辺が主張し始めている、対イラン軍事作戦を視野に入れた追加戦費を想定している可能性がある。その必要性を補完するかのような動きが顕著に喧伝されている。
イランのアフマディネジャド大統領は八月二八日、テヘランで記者会見を開き、イラクにおける米国の影響力は崩壊しつつあり、その後に生じる力の空白をイランが埋める用意があると語った。さらに、「イランは域内の友好諸国やイラク国民の支援を得て、この空白を埋める用意がある」と述べた。アフマディネジャドは友好国としてスンニ派大国サウジを挙げ、同国に協力を呼びかけた。また、米国がイランの革命防衛隊をテロ組織に指定する準備を進めているとの報道に対しては、「それに見合った反応があるだろう」として対抗措置を予告した。すなわちアフマディネジャドは、ブッシュ政権の懸念を裏付けるような見解を公言することで、間接的にチェイニーなどの強硬勢力に塩を送っていると見なすこともできる。
また、九・一一事件から六周年目の九月七日に、米情報機関筋はブッシュ政権から国際テロ組織と名指しされたアルカイダの指導者ウサマ・ビンラーディンの新たなビデオ声明を入手したとして、その映像を公開した。ビンラーディンのビデオ映像が確認されたのは、約三年ぶりのことである。
声明は約三〇分で、ビンラーディンは米国の指導者はイラク戦争の収拾に失敗したと指摘。「戦争を終わらせるための二つの解決方法」として、第一に「米国に対するテロ攻撃の拡大」を挙げ、第二の方法として、「米国が民主主義に代わり、イスラム教への改宗を進めるべきだ」との檄をとばしているとされている。
米情報機関筋は音声分析などを根拠に、ビンラーディン本人の映像であると断定、声明の内容から直近の映像だとしている。すなわち、米情報機関筋は、ビンラーディンは健在で、米国が再びテロ攻撃の対象になっているとの恐怖を喧伝することに躍起である。仮に、未遂であっても、九・一一事件に類似した事件が発生すれば、米国世論がイラン攻撃を積極的に支持する方向に急傾斜するのは否定できない。
だが米国社会では、六周年目を迎えた九・一一事件に関して様々な視点(政府のやらせ説など)や立場からその実態を疑い、検証する必要性を訴える声があがっており、さらなる陰謀的事件のでっち上げや情報操作には限界がある。逆に、ビンラーディンが潜んでいるとされているパキスタン情勢が急速に悪化している。
●急速に悪化するパキスタン情勢
ビンラーディンがアフガニスタンのトラポラの山中に姿を消してからほぼ六年が経過した。スパイ衛星、無人偵察機、精鋭の特殊部隊、巨額の報奨金。超大国米国がこれだけの武器を総動員しながら、重病説もある中年のオジサンを発見・拘束できないだけでなく、その生死も確認できていない。
パキスタンとアフガンの国境にある連邦直轄部族地域(FATA)は植民地時代から治外法権同然の状態にある。八〇年代アフガン戦争中は、ビンラーディンのようなイスラム過激派がイスラム圏全域から集結した。パキスタンの情報機関ISIは米国など西側の援助を受けながら、彼らに軍事訓練を行ない、武器を供給してソ連の支援するアフガン政府の転覆をはかり、最後はソ連を追い出すことに成功した。
このため、米国はビンラーディン追跡・捕捉作戦にISIの協力が絶対に必要と判断。だがソ連と敵対していた当時と違って、イスラム系のタリバン・シンパが多い彼らに全面協力を期待することはできなかった。また、米軍が単独でパキスタン領内で強引な作戦に踏み切れば、盟友ムシャラフ大統領の立場を危うくしかねないとの懸念もあって、中途半端な作戦しか遂行できなかった。その結果、米国内にムシャラフ政権への不信感が高まっていた。あたかも米国の不満に応えるかのように、パキスタン情勢は急速に悪化し、ムシャラフ体制は崩壊の危機に直面している。
九月四日、パキスタンの軍施設が集中する首都近郊のラワルピンディで、国防省職員の乗ったバスなどを狙った自爆テロとみられる連続テロが発生。犯行声明は出ていないが、イスラム過激派勢力の犯行と見られている。ムシャラフは非常事態宣言で体制危機を乗り切ろうとの意向を示しているが、米国の同意を得られず思い止まらざるを得ない窮地に陥っている。また、英国に亡命中の野党指導者のブット元首相(女性)から、兼任する軍籍の離脱を突きつけられるなど、大統領の求心力は低下している。そのためムシャラフはブットとの交渉で急場を凌ごうと、必死である。
パキスタンの大統領選挙は国会議員と州議会議員による間接選挙である。支持率低迷に悩むムシャラフは与党のパキスタン・イスラム教徒連盟(PML)が多数を占める今の議会で再選を果たしたいとしている。そしてブットが率いる最大野党パキスタン人民党(PPP)議会派がこれを阻止しないようブットに求める交渉を進めていた。ムシャラフ側は九割方合意に達したとしている。ブットへの見返りは、彼女が帰国後も汚職などの罪に問わず、三度目となる首相の座を保証するとことだという。しかし、ムシャラフの軍籍離脱をめぐって話し合いが難航、また双方の支持者が安易な妥協に猛反発しており、ボス交渉だけで結論を出せる状況ではない。
こうしたなか最高裁は九九年の無血クーデタでムシャラフに政権の座を追われ国外追放(サウジ、その後英国に亡命)された、シャリフ元首相の帰国を認める判決を下した(八月二三日)。
シャリフはパキスタンで最も人口の多いバンジャブ州で今も圧倒的な支持を受けている。また、軍内部にも強固な支持基盤を有している。シャリフはブットのようなボス交を忌避し、首都イスラマバードから出身地のラホールまで支持者ともに行進して、彼の存在感を印象づけたいとしていた。すなわち、ブットとムシャラフが合意に達しても、それに反発するシャリフ勢力の存在が政局混乱の大要因になる可能性がある。
九月一〇日、シャリフは約七年ぶりにパキスタンに帰国した。しかし直ちにムシャラフ政権は、イスラマバードの空港でシャリフを逮捕し、サウジに再び追放した。ムシャラフはブットとの談合を最優先して、シャリフ追放の賭けに踏み切った。EUはムシャラフ政権にシャリフの帰国を認めた最高裁の決定を順守するよう求めていたが、米国は国内問題だとしており、EUとの温度差が浮き彫りになっている。
ムシャラフとブットの交渉を仲介しているのは英国である。米国はパキスタンの安定は歓迎するが、英国の影響力が強まることは歓迎していない。逆に、英国の姑息さがパキスタン情勢をさらに混乱させるのではとの危機感すら抱いている。いずれにせよ、パキスタンは今、国家分裂をも視野に入れて国の命運を決する波乱の日々を迎えようとしているのだ。その遠因は、米国の中東政策、対イスラム対策の拙さに起因しており、米国のパワー喪失の煽りを受けて、国家分裂・崩壊の危機に直面しているのである。
パキスタン激変は、インド亜大陸の周辺の地政学的変化を促すことになり、イスラム色の強い東南アジアの異変をも誘うことになる。米国は、その激震の矛先を支那大陸攻略と連動させるかのように、北朝鮮の取り込みに必死の姿勢を隠していない。
●米朝・日朝の協議再開
北朝鮮の核をめぐる六ヶ国協議のなかで、米国と北朝鮮の関係正常化のための作業部会が、九月一、二の両日にスイスのジュネーブで開かれた。
協議終了後、ヒル国務次官補は、北朝鮮との間で、核計画の完全申告と核施設を稼働不能にする無能力化を年内に行なうことで合意したと発表。ヒルは、完全申告には北側が存在を否定してきたウラン濃縮による核計画も含まれると指摘した。ただし、北代表の金桂寛外務次官は、年内に履行するとは明言しなかったが「詳細について解決していく必要がある」と述べた。すなわち、北の核計画をめぐって、米側は大枠で北側の主張を容認しても当座の懸念は解消されるとの期待感を平壌に示し、米朝国交正常化を急ぎたい意向を強調したものと思われる。
翌三日、北朝鮮の外務省報道官は米朝作業部会で、核計画をめぐる対処に双方が大枠で合意したことに関し、「米国がテロ支援国家指定解除を行なうことになった」と述べた。米国務省当局は、同日、北側の発表は「事実ではない」と否定。北朝鮮の発表は、米側があくまで年内での完全申告や核施設の無能力化を望むなら、テロ支援国家指定解除がそのバーター条件だとしたものである。だが、ジュネーブの雰囲気を勘案して、米側は平壌が提示したバーター条件を実質的に受け入れたことを、間接的に周知させるための報道の可能性が高い。
米側としては、日本人拉致問題解決の行方に大きな影響を及ぼすテロ支援国家指定解除について、日本の立場をまったく無視して平壌と合意に達したことを公に認めることはできない。北側は、米朝協議の直後に開かれる日朝協議を睨んで、わが国に米朝間での合意を軽視するなとのシグナルを送ってきた可能性が高い。
ヒルは日朝協議を歓迎するとともに、「協議が成功すると信じるに足る理由がある」と語った。その根拠として、金桂寛が、五日から開かれる日朝作業部会について、「六ヶ国協議のプロセスを進めるうえで、有益なものになることを期待している」と、日朝協議の進展に期待感を示したからだとしている。米朝が両国間の懸案事項解決の大枠で合意に到達したしたことを、日朝作業部会が有意義な協議になるとの見解に託していたといえる。
すなわち、米朝間の対話は戦略的な立場に基づいた話し合いである。平壌は支那を介在させて朝鮮半島問題に対処したいとした米側の思惑を覆し、米側が米朝二国間協議に誠実に応じた経緯を評価しただけでなく、条件付きとはいえテロ支援国家指定解除をも勝ち取ったことに満足の意を示し、米側もその大枠を追認したといえる。そして、日朝協議は、米朝戦略対話内における戦術的な協議に過ぎないと、米朝両国が位置づけていることを日本側に突きつけてきた。米側は日朝作業部会の進捗次第では、テロ支援国家解除を決める用意があると、わが国に踏み絵を迫ってきたともいえる。
九月三日付けのW・ポスト紙は、ライスがブッシュ政権最後の二年間に達成すべき外交目標として、北朝鮮の核問題などの解決を掲げ、クリントン前政権末期の外交を熱心に研究していたことが分かったと報じた。ブッシュが米朝関係の正常化を政権最後の外交目標にしている可能性を示唆している。それはライスがクリントン政権末期に訪朝したオルブライトと同じ花道で有終の美を飾りたいと目論んでいる可能性を示唆する報道でもある。そのため、米国は平壌の満足する歴史認識を容認する可能性も否定できない。
八月二二日、ブッシュは、退役軍人を前にした演説で、「今日の躍動的で希望に溢れたアジアは、米国のプレゼンスと忍耐なしには不可能だった」と、対日戦争(大東亜日米戦争)と朝鮮戦争の意義を説明した。そのなかでわが国について、「神道は狂信的に過ぎ、しかも天皇に根ざしている」と極言した。新聞も満足に読めず、一五分以上の演説草稿は苦手だと自ら公言しているブッシュが、自らの歴史認識を表明したわけではなかろう。米上院が「慰安婦問題決議」に対して積極的に看過したブッシュ政権の本音、米国文明力の軽薄さを追認する演説である。
米朝戦略対話の枠組みのなかでの戦術レベルでの日朝協議が、再開された。
北朝鮮の核問題をめぐる六ヶ国協議の日朝国交正常化作業部会が九月五、六の両日、モンゴルの首都ウランバートルで開催された。初日の会議でわが国は、植民地支配など「過去の清算」について双方が請求権を放棄したうえで、経済協力方式で一括解決するよう提案。北側は、経済協力とは別に強制連行や「従軍慰安婦」への補償を求めた。懸案の日本人拉致問題の解決について北側は、これまでの「解決済み」一本槍ではなく、話し合いに応じる余地があるかのような、異例な対応で応えた。しかし、具体的な結論はなく、協議は終了した。
協議が終了した六日、北側代表団は、「日本とのこれまでの対話のなかで、(今回が)一番良かった」「進展があったと評価する」「最悪の状況にあった朝日関係だが、今後は話し合いを進めなければならない」と協議継続に期待感を示した。日朝間での協議の詳細が公表されていないため、なぜ北側が満足感を表明するのかは論評が不能である。ただ、彼らが満足の意を表し、協議継続に期待感を抱いているのは、米国を意識して、米国の思惑内で日朝関係を進捗させるとしたアピールに重点を置いている可能性が高い。ことに、二日目に北側は、従来は「解決済み」一本槍の主張を収め、拉致問題に応じて継続審議に同意した素振りを見せることで、米国に対するテロ支援国家指定解除攻勢のバネにしたいと考えている節が濃厚であった。わが国は、その本音はともかく、平壌が拉致問題を無視できないと認識していることを最大限活かしきる外交に徹することを、日朝交渉の原則に定めるべきである。
同時期、北朝鮮は外国人スパイを摘発したと発表した。国は特定されていないが、日本人の可能性も否定できないとの情報も流布されているが、その真相は明らかでない。中露両国は、米朝戦略対話の枠組みに縛られた戦術レベルだけの日朝協議の先行きに、不快感を感じている。そのため、わが国が最もこだわっている日本人拉致問題に付け込んで、日朝協議の進捗を妨害するかのような動きがあると噂されている。平壌は、その噂に過敏に反応して国名を特定せずにスパイを摘発したとして、関係国の反応を窺っている可能性もある。いずれにしても、米朝関係正常化への動きは、冷戦残滓構造払拭への一里塚で、わが国は戦後体制の総決算を決断せざるを得ないように外堀が埋められている。
●「テロ特措法」論議と脱戦後体制
安倍政権は、内閣改造で困難な政局を乗り切る決断を降した。だが、就任間もない農水相を更迭せざるを得ない醜聞騒動に巻き込まれた。
三代続けて農水相人事に異例な事態が起きている。政治資金の不透明さが問題視されていが、この問題を厳密に精査すれば、与野党を問わずほとんどの政治家に落第点が付くだろう。しかし農水相にだけ的が絞られているのは、わが国の農水行政を敵視する勢力による謀略的な破壊工作の可能性が高い。
わが国の農水行政は日本固有の文明力の型示しである「豊葦原瑞穂の国」の存続基盤を育むことを使命にしている。農水省は、現代的な大型農業や、遺伝子組み換え種子の売り込みを図る外国農事勢力の目に見えぬ攻勢に必死で抵抗し、伝統的な型示しを堅持するため、様々な智慧を絞り出して行政を指導している。
「戦後レジームからの脱却」を明言する安倍政権だからこそ受けた、執拗な政権攻撃の的が農水相人事に向けられた可能性を否定できない。派手ではないが、現代版「変型ロッキード事件」とも言えよう。その「ロッキード事件」で最後は命まで縮められた田中角栄元首相の秘蔵っ子・小沢一郎民主党代表は、「テロ特措法」の廃案を宣言して、安倍改造内閣と全面対峙する意向を示している。
米下院本会議は、テロ対策支援や対米同盟の堅持で日本の貢献を讃える感謝決議を賛成四〇五、反対なしの全会一致で採択した(九月五日)。同決議は、慰安婦問題をめぐる対日非難決議との均衡を図る形で提出されたものである。米議会は飴と笞で簡単にわが国をあやすことができるとして、議会決議を乱発している。慰安婦問題は対北宥和政策との連関性で、感謝決議は、わが国の政局混乱で「テロ特措法」が廃案になる危険性を懸念して決議されたものである。
「テロ特措法」は、イラク戦争の勃発に伴って、わが国が海外で自衛隊を準軍事活動に従事させることができると定めた特別法である。その理念的な解釈はともかく、陸海空の自衛隊がそれぞれの立場で活躍することは、わが国の存在感を世界にアピールする好機である。事実、イラクに派遣された陸上自衛隊は、健全な日本軍の存在意義を大いにアピールした。陸海空自衛隊が日の丸の国旗をたなびかせて海外で堂々と活躍することで、日本の国威発揚に大いに貢献している。遙かかなたのインド洋に向けて、帝国海軍の誇である旭日旗を掲げてマラッカ海峡を通過する海自艦隊は、アセアン諸国の目には支那の軍拡圧力を跳ね返す頼もしい友軍の勇姿と映っている。
「テロ特措法」をめぐる国会審議では内実を伴わない空論じみた理念を論じるのでなく、わが国軍が海外で活動する是非に的を絞り、外交・国防の現実的な国益の在り方への結論を導くことが最も賢明な対応である。小沢は生命を賭して「脱戦後体制」(対米自立)の道筋を切り開いた田中角栄の後継者である。田中は陰謀的な手法で屈辱的に葬り去られた。皮肉なことに、小沢の師匠が望んだ「戦後体制からの脱却」を政敵が政権課題に掲げ、「テロ特措法」の延長が今国会の主要議題となっている。
自衛隊は防衛省が管轄しているが、単なる一行政単位ではない。「テロ特措法」は、軍を軍として尊敬できない小役人的な発想に基づいた、行政的な対処による姑息の産物である。小沢に真の憂国の情があれば、「『テロ特措法』などと無関係で、わが国は陸海空三軍を海外に派遣できる。逆に、特別法でしか海外派兵を担保されない軍では、軍人の士気にかかわり、彼らの名誉をも貶めることになる」と断言して、「戦後体制の脱却」に一肌、脱ぐべきである。
米上下両院は「慰安婦問題」で対日非難決議を採択した。同時期、トルコのアルメニア人虐殺非難決議も勘案されていた。だが、トルコ政府が決議案が採択されれば米国との断交も辞さないとした強い抗議をしたため、審議は棚上げになっている。小沢は、「テロ特措法」廃案を主張する根拠は、米議会の対日侮蔑決議を容認できないからだと明言し、安倍政権と一体となって「脱戦後体制」(対米自立)へのみちを切り開くべきである。そのことが恩師・角栄への最大の供養となることを肝に銘じるべきである。
筆者は、「脱戦後体制」の目標は、内戦もどきの闘いをも決意しなければ達成不可能な難題と思い定めている。そして安倍は靖国に参拝してその決意を固め、御祭神(英霊)の御加護を仰ぐべきだとの期待感を表明してきた。しかし、九月一二日、安倍は突如総理を辞任してしまい、自ら掲げた崇高な理念を放棄してしまった。そして安倍辞任により、政界混迷は避けられなくなった。この政界混迷が、結果的に、「脱戦後体制」への序章となることを願って止まないものである。(平成一九年九月一三日識)
金融ハルマゲドンと安倍訪印 (世界戦略情報「みち」平成19年(2007)9月1日第256号)
●ローブ次席補佐官辞任へ
米国ミネソタ州ミネアポリスで高速道路橋が崩壊した事故(八月一日)について、メディアは「米国の崩壊」といった見出しで大々的に報じた。報道から読み取れることは、崩れ落ちてはならないものが崩れ落ちたことで米社会が受けた衝撃の大きさであり、唯一の超大国を自認する米国の安全神話への動揺である。
今回の事故は、行き過ぎた自由主義(新自由主義)がもたらした米国社会の歪み、超格差の放任によって公益性への配慮を欠いた社会政策がもたらした当然のツケである。しかし、米メディアはその真因を追求することなく、超大国の神話崩壊の予兆と見るばかりの目線で今回の事故を論じている。
その心理的な背景には、イラク戦争に踏み切った米国が出口の見えない袋小路に迷い込み、国際社会から孤立化しつつある現状に対する無自覚の苛立ちが秘められている。すなわち、米国のソフト・ハード両パワーが急速に衰退していることへの不安と苛立ちが、「米国の崩壊」という表現に託されているのである。また、レームダック化の著しいブッシュ政権が超大国の指導者として有効な手だてを講じられない現状への絶望的な批判もそこにはある。その直後、大統領の次席補佐官の辞任が発表され、政権のレームダック化にいっそう拍車がかかっている。
八月一三日、ブッシュ大統領の右腕として「選挙の神様」の異名を取ったカール・ローブ次席補佐官が八月三一日付で辞任する方針を表明。会見に同席したブッシュは、「われわれは長い友人だった。今後も変わらない」と述べた。だが、〇九年一月までの任期を残す政権運営で側近不在となる痛手を指摘する質問には返答しなかった。
ローブは米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)との単独記者会見で、「今が潮時だと思った」と辞任の考えを初めて表明。一年ほど前から辞任を考えていたが、昨年の中間選挙での共和党敗北やイラク情勢の処理など政局課題を抱えて、辞任を先延ばしにしてきたと説明している。彼が辞任に至った理由や背景事情などについて様々な説明や憶測が流れているが、その真相は明らかになっていない。
今年で五六歳のローブはブッシュ(六一歳)が二〇歳代だったテキサス時代から三四年間の親交をもつ大統領の「親友・盟友」「腹心中の腹心」で、ライス国務長官、ゴンザレス司法長官と並んでブッシュ政権の「忠臣三羽烏」の一人であった。
ブッシュは新聞を読まず、情報入手は毎朝「二人の補佐官」からのブリーフィングに依存するのが大統領就任の初日以来からの慣習だと、大統領自らがインタビューで明らかにしていた(〇三年九月)。二人の補佐官とは、ローブとライスで、ローブはそれだけ信任が厚かったのだ。ローブの辞任でブッシュの政治生命は終わったと見なす専門家も多い。果たして、ローブがブッシュを見限ったのか、それとも、ブッシュがローブを切ったのか、その真相はぼかされたままである。
ローブが辞任を表明した直後から、「米国はイランを今後数ヶ月以内に空爆するだろう」といった話が米政府の高官、特にチェイニー副大統領の周辺から発せられるようになった。ブッシュ政権はイランを「悪の枢軸国」に指定し、核兵器開発疑惑を口実にイランを軍事制裁する必要性を唱えていた。だが今回は、核開発疑惑ではなく、「イランが武器を輸出してイラクの混乱を助長させている」「イラン革命防衛隊が、イラクの反米ゲリラを訓練している」などといった、イラク絡みの理由でイランを空爆する必要性があるとの意図が露骨に滲みでている。
八月一五日付米ワシントン・ポスト(電子版)は、複数の米政府当局者の話として、ブッシュ政権がイラン強硬派の中心勢力である革命防衛隊を国際テロ組織に特別指定する方針を決めたと報じた。また、八月一八日付の週刊誌「タイム」の記事では、匿名の米政府関係者が、「おそらく六ヶ月以内に米軍がイラン革命防衛隊の拠点を空爆するだろう」と語っている。さらに、ラディーンら複数のネオコン系論客がイラン空爆構想を鼓舞する記事を各種メディアに盛んに投稿し始めている。
昨年の末にも、「米軍は半年以内にイランの核施設を空爆する」といった観測情報が流布された。事実、それに向けたかのように、イラン正面のペルシア湾とアラビア海に昨年末から米軍の空母戦闘群が派遣され、一時は三つの空母部隊が狭い海域にひしめく状況となっていた。しかし、この八月には二つの空母戦闘群がこの海域を去り、米国の母港に帰ってきた。
同時に、次はイラン革命防衛隊施設を空爆するといった情報が意図的に流されている。ブッシュ政権内のタカ派(チェイニーを取り巻くネオコン系)と、反ネオコン系の暗闘が続いていることが暗示されており、政権内の確執が繰り返されていることが浮き彫りになっている。
ローブの辞任表明を契機に、イラン空爆論が流布されているのは、ローブ辞任の真因はブッシュがチェイニーに唆(そそのか)されてイラン空爆に踏み切る決意を固め、その決断に難色を示し抵抗するローブを切り捨てた可能性が高いことを暗示している。逆に、ローブが暗愚の帝王ブッシュを支える気概を喪失、両者の思惑が円満な辞任劇を演出したと見ることもできる。
ローブに続き人気テレビキャスター出身のスノー大統領補佐官も任期途中に辞職する意向を明らかにしている。さらには「忠臣三羽烏」のゴンザレスも九月一七日付で司法長官を辞任する意向を大統領に伝えた(八月二六日)。ブッシュは「忠臣三羽烏」のうち二人にまでも見切りをつけられたも同然で、ますます裸の王様の醜態を内外にさらけ出すことになろう。今後の頼みの綱は魔女ライスの神懸かり的な託宣で、チェイニーを介したネオコン系の煽動にどのように対応するかが注目されるところである。
ブッシュの今後の心境は、イラク問題の苛立ちをイラン軍事制裁発動に振り向けることで神の加護を受けられると、信仰への思いこみにはまりこむ危険性を否定できない。ブッシュ政権がイラクのマリキ政権への批判を高めているのも、その予兆の可能性が高い。
●マリキ政権批判を強める米国
八月一四日イラク北部のシリア国境にほど近いシンジャル近郊で少数宗派ヤジーディ教徒(クルド系)を狙った同時自爆テロが発生して、少なくとも二〇〇人が死亡、三〇〇人以上が負傷。イラク戦争後、最悪規模の犠牲者がでる事件が起きた。
ブッシュ政権が九月にイラク治安状況等に関する最終報告書を議会に提出するのを控え、米軍は同日バグダッド周辺で展開していた武装勢力掃討作戦の拡大を発表したばかり。だが、武装勢力の大規模テロは地方までも広がる様相を示しており、宗派抗争や武装勢力の勢いが衰えを見せていないことを誇るかのような大規模なテロが起き、ブッシュ政権は新たな難問を突きつけられている。このため、ブッシュ政権内から、マリキ政権への不満が一気に吹き出してきた。
ブッシュはカナダでの記者会見で、イラク情勢の混乱に関し「イラク指導部には一定の不満がある」と、民主化の象徴とされたマリキ首相を公然と批判(八月二一日)。そして、「根本的な疑問は、イラクの政府が国民の要請に応えているのかということだ」と語り、さらに、「政府が要請に応えなければ、国民により更迭される」と指摘した。すなわち、イラク国民に託(かこつ)けているが、米国がマリキを退陣に追い込むと宣言したも同然といえる。
翌二二日、次期米大統領選の民主党最有力候補であるヒラリー・クリントン上院議員は、「国をきちんとまとめられる人物」に職務を譲るべきだとして、マリキの首相退陣を求める声明を発表した。また、米政府は翌二三日、イラク情勢をまとめた機密報告書の「国家情報評価」(NIE)を部分的に開示。その中でイラクの治安が依然、米軍など多国籍軍頼みである実態を示す一方、パートナーであるマリキ政権について、「効果的な統治能力をなお欠く」と断定。現状が続く限り、今後半年から一年でイラクは更なる逆境に陥ると予測している。
マリキは首相就任後初めてのシリア公式訪問最終日の八月二二日、シリア首相アィトリーと行なった共同記者会見の席で米政権などから相次いでいるマリキ政権批判に対して、「国民に選ばれた政府に誰も政治日程を押しつけることはできない」「世界にはいくらでも友人がいる」と、逆ギレ的批判を行なった。そしてマリキは、米政府はイラクがシリアやイランとの関係改善を進めていることに動揺し、的はずれなマリキ批判に転嫁していると、ある面では正確な指摘を行なった。
マリキは八月八日、イラク武装勢力に武器を供与しているなどと米国が非難を強めているイランを訪問、アフマディネジャド大統領らイラン指導部との良好な関係を誇示。二〇日には、やはり米国がテロ支援国家に指定し敵視しているシリアを公式訪問し、二一日にはアサド大統領との会談に臨んだ。マリキは、イラン・イラク戦争以来、断交同然の関係にあったシリアとの関係修復に積極的な姿勢を示している。すなわち、イランだけでなくシリアとの関係修復を通じて、シーア派連合の結成に向けた動きを活発化しているといえる。マリキがいみじくも喝破したように、米国のマリキ批判は内政処理の不手際に託けているが、その内実はシーア派連合結成の動きにクギを刺す必要性に迫られてのことである。
マリキが公言するように、イラクの国内治安を回復するためにはイランとシリアの協力が不可欠である。だが、ブッシュにとっては、マリキが単独で両国との改善に乗りだすことは見過ごすことのできない背信と映っている。このため、米国によるマリキ追い落としは時間の問題であろうと予測されている。その際、米国は誰を後継者に想定しているのか?
関係筋はCIAエージェントだったアラウイ元首相が、有力候補の一人であろうと予測している。その他には、イラク最大のシーア派勢力であるハキーム師が率いるイスラーム最高会議(SICI)のアーデル・アブドルマハデイもその一人だと予想されている。いずれの候補にしても、米国のお目に適う候補はイラク国民の支持を得るのが難しく、イラク国民が選ぶ候補は、かならず米国と対立するという矛盾を回避することは不可能である。こうしたなか、イラクはイラク独自で米国からの圧力に抗しようとの動きを活発に示している。
マリキやタラバニ大統領ら有力指導者五人は、閣僚の辞任や職務停止が相次いで機能麻痺に陥っている現政権の現状打開のため、各派指導者との会談を活発にこなし、八月二六日には深刻な宗派・民族対立の解消と国民融和の鍵を握るいくつかの問題で、シーア・スンニ両派およびクルド人勢力の政治指導者の間で合意(五指導者合意)が得られたと発表した。
この日の合意発表は、九月半ばまでに議会に対しイラク情勢報告を抱えるブッシュ政権からの批判に対して、イラク情勢が進展していると演出することに重点が置かれたものにすぎない。すなわち、米国はアラブ特有の強かな「バザール商法的」な駆引に翻弄され、その泥沼から抜け出せないジレンマにただただ振り回されるばかり。仮に、米国が強引にマリキ退陣に演出すれば、自らジレンマを増幅させ、墓穴を掘ることになる。
そのジレンマから抜け出すために、ネオコン系はイラン革命防衛隊を国際テロ組織に指定して制裁する必要性をぶち挙げている。だが、イラクの治安状況の回復には、いみじくもマリキが指摘しているようにイランだけでなくシリアの協力が必要である。同時に、イスラエルも中東安定化(和平)のため、シリアとの対話を進めている。
ネオコン系の対イラン軍事制裁発動への煽動はイスラエルをも苦境に巻き込む危険性を秘めている。それでも、彼らがイラン軍事制裁の発動を狙っていることは、イラク戦争の真の狙いが彼らの悲願たる「大イスラエル主義」の成就にあることを改めて想起させてくれる。イラン軍事制裁の発動は、「大イスラエル主義」成就への一里塚としての「中東大混乱」状況への絶対必要条件で、彼らの執念深さには脱帽するほかない。「中東大混乱」状況は、ネオコンの父を自認するノーマン・ポドレツがいみじくも喝破したように、「第四次世界大戦」の序章になる危険性を孕んでいる。あたかも、その前哨戦の火ぶたが切られたかの如く、国際金融世界に大地殻変動が生じている。
●金融ハルマゲドンの到来?
奇しくも、カール・ローブの大統領次席補佐官辞任公表を切っ掛けにしたかのように、米国でのサブプライムローン(信用度の低い顧客向けの住宅ローン)の焦げつき問題に端を発した大混乱が生じ、その煽りで金融ハルマゲドンの到来を予感させる世界同時株安旋風が吹き荒れている。
八月一六日、米国最大の住宅ローン専門金融機関カントリーワイド・ファイナンシャル社が、社債市場での資金調達が困難になったため、四〇行からなる米銀行団から一一五億ドルの運転資金の融資を受けて事業を継続すると発表。この前日、カントリーワイドは資金調達ができずに倒産しそうだという報道が流れていた。翌一七日、米連邦準備理事会(FRB)は、貸出金利(公定歩合)を〇・五パーセント引き下げて五・七五パーセントにした。
カントリーワイドは米国住宅ローン市場で一三パーセントのシェアをもつ最大手。同社が倒産すれば、信用度の低い住宅ローンのサブプライム市場で起きている市場崩壊が、優良な一般の住宅ローン市場の方に拡大する懸念が指摘されていた。八月上旬以来、米国銀行の多くは「住宅ローンへの融資」と聞くだけで貸したがらない信用収縮(クレジットクランチ)の状態に陥っていた。
カントリーワイドが銀行に融資依頼しても、融資枠のある銀行ですら、ほとんど受け付けない状況にあったのだ。FRBが連銀自身も金利を下げて協力するから、民間銀行もカントリーワイドに金を貸してほしいと非公式に要請する必要があったほど、異例の救済措置の発動である。一般の米国人に貸し付けられた住宅ローンの焦げ付きが、世界の株式市場で大暴落を引き起こし、ヘッジファンドを破綻させかねない勢いに、世界の金融関係者は大ショックを受けている。
ここ数年、欧米の大手銀行のなかには、関係会社を作ってローン債権の証券化(債券化)を手がけたところが多い。今回の債券市場の崩壊により大損を被った関係会社を母体の銀行が救済しなければならないところが出てきているが、まだ損失が表面化していないケースが多いため、今後、世界のどの銀行が大損失を発表するか分からない状態にある。
従来、銀行は誰かに融資をしたら、それを自行で抱え、債権として財務諸表に計上していた。ところが九〇年代から米国を中心に盛んになった「証券化」の手法によって、銀行は自行の債権を証券化(債券化)し小分けにして投資家に売ることで、財務諸表に計上しないようになった。債権を自行で抱えると、融資先が経営難に陥ったときに不良債権になる。その結果、融資先の企業の格付けが落ちるだけで、銀行自体の格付けが落ちる。このため、債権の証券化は、不良債権対策としてのある種の便宜性があった。だが、健全な金融機関としての銀行の信頼性を損なう危険性も内在していた。その危険性が現実化しているが、銀行自体が被った損害の規模を把握しきれていないのが実情である。
筆者は、金融や経済に関しては全くの素人である。しかし、近未来の金融恐慌を予見させる今回の大地殻変動の背後には、純粋な経済論理では説明しきれないある種の力学が働いているであろうとの確信を抱いている。その傍証の一つが、グリーンスパン前FRB議長の警告にある。
グリーンスパンは、〇五年五月に行なわれたビルダーバーグの年次総会にゲスト・スピーカーとして招かれ、その席で、世界の金融市場を席巻しているヘッジファンド商法のまやかしと危険性を指摘した。その直後、「自分は〇六年一月にFRBを去る」と明言した上で、彼の任期中に「ヘッジファンド商法は手じまいせよ、その助力には責任を持つ」との警告を発した。
彼は、ビルダーバーグの総会の空気から、FRBから放逐されるであろうと予測して、大胆な警告を発し続けていたものと思われる。彼の後任のパーナンキは、グリーンスパンの警告とは真逆の態度を隠さず、両者は激しく対立しているといわれている。今回の金融危機は、まさにグリーンスパンの警告が的を得ていたことを逆証しているといえる。そしてなぜか、彼は今回の金融騒動を切っ掛けにドイツ銀行の最高顧問に就任している。
米国のサブプライムローンは、米国の住宅・不動産バブルを助長した元凶である。米国ほどではないにしても、住宅・不動産バブルを謳歌している英国やスペインなどの金融・債権市場は今後バブル崩壊の手厳しい試練を受けることになる。しかし、ドイツは不動産バブルと無縁であるため、グリーンスパンは自らの金融・経済理念を全うするためドイツ銀行の招請に応じたものと思われる。すなわち、今回の世界的な金融危機が勃発した背景には、国際金融資本世界内部の熾烈な覇権争いが影響している可能性が高い。
その覇権争いは、単に金融分野だけでなく、米一極支配の是非をめぐる国際力学の将来を遠望した世界覇権地図の塗り替えをも視野に入れた壮大な規模の可能性が高い。ネオコン系勢力が同胞国家イスラエルの存亡すら顧慮せず、ラン軍事制裁の発動に固執しているのも、その証左である。
今後、清算がある程度終わった段階での世界の金融の景色がどのようなものになるのかは、全く不透明である。ただ、これまで世界の消費力を牽引してきた米経済は借金や証券化といった、従来より簡単にお金を作れる手法に頼っており、仮にその一部が清算されただけでも、米経済に大打撃を与えるのは必至である。
今はまだ、債券市場の崩壊は社債分野のみで、米国債はむしろ社債からの逃避先として買われている。しかし、長期的に見ると、米国債は安心できる投資先ではない。従来、支那やアラブ産油国などは、ドル建てでの貯蓄を好み、米国債を買っていた。しかし、米経済の成長が減速したりインフレになったりして、資金をドル建てで保全・運用するメリットが減ると、米国債も売れなくなる。
ドルと米国債の力が落ちることは、アメリカの覇権失墜そのものである。米国内に、その危機回避のためにこそイラン軍事制裁発動の誘惑に駆られる危険性が芽生えている。ウォール街の大暴落が第二次大戦の引金になった例もある。先例に倣いたいとの衝動に、世界が巻き込まれる危険も否定できない。金融ハルマゲドンの本質を十分に見極める必要性がますます高まっている。その危険性を察知したかのように、ロシア財務省はIMF専務理事に独自候補を推薦してきた。
●ロシア IMF理事を独自に推薦
国際通貨基金(IMF)は八月三一日、次期専務理事候補者の届けを締め切る。欧州連合(EU)はフランスのストラスカン元財務相を推薦することで一致していた。だが、ロシア財務省が突如、チェコのトショフスキ前中央銀行総裁(元首相)を候補者として推薦してきた(八月二一日)。
IMFの専務理事選出では、ロシアは二・七三パーセントの議決権しか持っていない。対して、EUは三三パーセント、米国は一七パーセントであり、合わせて半分の議決権を握る欧米が一致すれば、ロシアが推す候補に勝目はなく、それはロシアも充分承知のうえで独自候補を推薦してきた。
現在のIMFの主要顧客は、第二次大戦後の創設当時と違って発展途上国として凄まじい成長力を発揮している支那、インド、ブラジルなどの国々である。にもかかわらず、トップは慣例的に欧州系先進国出身者が占めているため、発展途上国にはある種の不満が蓄積している。WTOドーハラウンド交渉が事実上破綻したのも、先進国が発展途上国と対等な関係を持つことを拒んでいるからである。
ロシアは今回、負けを承知で横やりを突きつけてきた。その大義として、「IMFは世界経済と国際金融システムの変容にともなう改革が必要」との主張を掲げ、現状を放置すれば「発展途上国から先進国主導への不満が高まりIMFの権威は危機的状況になる」と警告する。事実、急速な経済発展に伴い、新興国や発展途上国が将来的にIMFなどの国際金融システムのなかで発言力を強めることは避けられない情勢にある。欧米に比べ圧倒的に数が多いこれら諸国の不満を代弁し現体制の根本的な変換を促す今回のロシアの動きは、近い将来のIMF改革議論のなかで主導権を握るための重要な布石となろう。
同時にロシアは、米国のチェコへのミサイル防衛(MD)施設建設への牽制の意を秘めて、チェコの有力人士を取込んで推薦してきた。トショフスキ自身はロシアの推薦を受諾する意向を表明したものの、当のチェコ政府は「同氏はチェコの候補者ではない」との声明を発表。ロシアの「横やり」に戸惑いを隠せない。しかし、チェコでは、ロシアが強く反発する米MD施設建設をめぐって国論を二分する大激論が巻き起こっており、ロシアはそこに上手く食い込んだ成果をも誇示している。
ロシアは、冷戦時代のような無骨な威嚇戦略ではなくソフト戦略を柔軟に駆使しながら、抗米戦略の布石を確実に打ち始めてきた。プーチン大統領には、ソ連崩壊のどさくさにつけこんでロシア国富を簒奪した国際(ユダヤ)金融資本の魔手から祖国を救い、大国復権への足がかりを確保したとの自負心が強くある。その金融資本勢力が、身勝手な論理で世界の経済・金市場を荒らし回る横暴に歯止めをかけるべく、IMF人事に口を出してきたともいえる。同時に、軍事戦略分野でも、上海機構を中心とした抗米戦略の構築に勤しんでいる。
ロシアと支那を盟主とする上海協力機構(SCO)六ヶ国による初の合同軍事演習が八月九日から九日間にわたってロシア中部のチェリャビンスク州で行なわれた。演習には、支那から約一七〇〇人、ロシアから二〇〇〇人が参加し、他の中央アジア諸国からも約一五〇人が派遣された。ロシアが今回の演習に投じた予算は、年間軍事演習予算の一割にも相当。演習開始に先立つ六日には中露両軍による大規模な予備訓練を行なうなど、ロシアはこの演習に並々ならぬ意気込みを見せた。
八月一六日、SCO首脳はキルギスでの首脳会議で米国の一極支配を批判する「ビシケク宣言」を採択、翌一七日、そろってSCO初の合同軍事演習を視察した。ラブロフ露外相は同様の演習が今後も継続されるべきだとして、SCO軍事協力の深化に期待感を示し、支那もそれ相応の必要性に言及した。すなわち中露両国はSCOをNATOに対抗する軍事ブロックに発展させたいとの思惑を抱いている。だが、両国の戦略利害は必ずしも一致しておらず、ロシアは自国内で支那軍の大部隊が展開することへの微妙な警戒感も隠していなかった。すなわち、SCOは地域大国ロシアと支那の温度差を孕みつつも結束を誇示することに一定の成果を示したといえる。
中露は、米国が東欧やアジア地域に配備するMDシステムについても、協力しあえる可能性を示した。だが、両国は双方の裏庭とみなす中央アジア地域での覇権争いに血道を上げており、SCO域内での思惑が交差している現実も浮き彫りになった。
SCO首脳会議ではロシアが提唱した準加盟国・イランの正式加盟や、「エネルギー・クラブ」創設については実質的な合意が見送られた。SCOを「反米ブロック」と見なされることを極端に警戒する支那の懸念や、資源供給国と消費国の立場の違いをが浮き彫りになったといえる。すなわち支那は、ロシアのユーラシア・エネルギー戦略支配下に組み込まれることには、「ノー」の態度を貫いている。
同時に支那は、米国との戦略提携を視野に入れながら、ロシア主導の中露対米といった対立図式に組み込まれる意思はないとの姿勢も示していた。その思惑を秘めた北京政府は、軍事演習に参加する支那の部隊を、〇五年に山東半島で実施した大規模な中露合同演習の半分に抑えていた。朝鮮半島情勢をめぐって米中は微妙な駆け引きを行なっている最中、支那は反米一色を抑止する必要性を最優先させている。
●南北朝鮮首脳会談延期へ
八月一〇日付けの産経新聞は、一面トップ記事で支那が米主導の朝鮮半島安定化構想を極端に警戒し、対日接近を模索しているとした、北京政府の戦略機関関係筋の見解を紹介している。
同紙によると、北朝鮮金正日総書記は昨年一〇月の核実験後、ブッシュにメッセージを送り「朝米関係を正常化し韓国以上に親密な米国のパートナーとなる」と伝えた。北京の戦略情報関係筋は、これが米国の対北朝鮮姿勢を転換させる契機になったとの認識を示し、米朝の動きに警戒感を表明。支那はそれに対応して、日本との戦略的な関係構築を決めたとされている。
また今年六月、ヒル代表が記者会見で、朝鮮半島の恒久平和体制を目指し日露を除く米中朝韓四ヶ国会合を提案したのも、米朝の合意に韓国が同調した背景があるとされている。そして、支那は四ヶ国案に反対したと強調。その理由は、「一(支那)対三(米朝韓)になるからだ」と指摘している。
同紙によれば、支那戦略関係筋の分析を聞いたわが国の外交筋は、「事実ならニクソン・ショック以上の衝撃」と慨嘆したという。この話が事実なら、わが国の戦略分析能力の無さを今さらのようにさらけ出す以外の何ものでもない醜態である。
最近、筆者が会った朝鮮総連の関係者から興味深い話を聞いた。それは、バンコ・デルタ・アジア(BDA)に関連した話である。彼によると、平壌はBDA問題を真剣に憂慮しなかったとしている。なぜなら、米国がBDA制裁を発動したのは、支那大陸を植民地化した英国系金融資本の手先であるBDAを締め付けることに真の理由があったからだという。その目的は、英系や支那系金融資本の北朝鮮に対する影響力を排除することにあったとしている。すなわち、北朝鮮が実質的な開放政策に転じても、同国の金融利権を英系やその五列の支那系の金融機関には関与させないとする真意を関係筋に周知徹底させるためのBDA制裁発動で、平壌は米側から背景説明を受けていたとのことである。この見解は、世界同時株安の背景事情の一端を示唆する情報でもある。
彼は、緒方事件に関して「安倍政権は下手を打ちましたね」と皮肉めいた論評に終始していた。また、「なぜ、日本政府は独自の対北政策も選択肢の一つという抜道を用意できないのか」と批判的な言葉を洩らした。さらに、「日本統治下において、日本の機関が作成した緻密な地下資源地図を、なぜ積極的に活用しないのか?」との謎をかけてきた。そして「共和国に眠っている地下資源(レアメタル)は莫大で、諸外国はもうその発掘権益の争奪戦に入っていますよ」と、日本の立ち後れを皮肉っていた。
本誌でしばしば指摘してきたように、米朝間の水面下の交渉はかなり進展しているだけでなく、近い将来、朝鮮半島は米国が担保し北主導で統一される可能性が高まっている。支那の関係筋が、朝日新聞のような媚中派メディアではなく、北京にとって鼻持ちならぬ右派的な保守メディアにあえて工作を仕掛けてきたのも、冷戦時代の遺物のようなイデオロギーに麻痺されている左派勢力ではなく、真性保守勢力への働きかけを優先せざるを得なくなっているからである。
かつて支那はソ連の軛から逃れるため、「ズボンを履かないでも核を持つ」と公言して核保有国になった。その結果、米国と国交を樹立し、国連安保理常任理事国の地位を獲得できた。昨年一〇月、北朝鮮が核実験を実施した際の声明文は、北京が初めて核実験を行なったときと全く同趣旨の内容であった。すなわち平壌は、北京の軛から逃れるため核保有国を目指し、成功した。同時に、米国にその既成事実を認めさせたと胸を張った。当然、支那はわが国が「ニクソン・ショック」に動揺したのと同じ可能性に備え、平壌に対する様々な工作を仕掛けているものと思われる。その成り行き次第では、わが国と戦略的に共闘する必要性があるとして、産経新聞に積極的なリーク工作を仕掛けてきたのだ。
八月二八日から三〇日に盧武鉉韓国大統領が平壌を訪問し、南北朝鮮首脳会談が開催されることが発表された(八月八日)。公表された南北合意書の日付は八月五日である。北京の関係筋は、この合意文書を入手した直後、産経新聞に接触したものであろう。北京にとっては予測していたとはいえ、真剣に対応せざるをえない事態に直面したものと思われる。
だが、八月一八日、韓国と北朝鮮は南北首脳会談を一〇月二〜四日に延期することで合意したと発表した。
会談延期は北朝鮮側から一方的に通告されたもので、その理由として今月初旬からの豪雨による水害を理由にあげていた。同時期、平壌で行なわれるアリラン祭は予定通り開催されるとされており、水害が単なる口実にすぎないのは明らかである。だが、韓国側にとっては寝耳に水の通告だったはずで、一時は緊張を強いられた。しかし、一〇月二〜四日という韓国側提案の延期日程を平壌が即座に受け入れたことに安堵感を示している。
平壌が今回、南北首脳会談の延期を一方的に通告してきたのは、金正日が九四年の悪夢を回避する必要に迫られた可能性が高い。九四年、故金日成はカーター訪朝を受け入れて米朝枠組(米朝連携での対支那戦略的対峙構想)に合意、その直後、金泳三韓国元大統領との南北首脳会談を予定していた。だが、金泳三訪朝直前に突如死去した(九四年七月八日)。
金正日は、父・日成の急死は支那による暗殺だと確信し、以来一三年間、北京を刺激する対米関係正常化を断念してきた。支那の最高指導者が江沢民から胡錦濤に代わったことを受けて、日本人拉致問題を認める賭けに出て、対米関係の改善に踏みきり、その最後の成果を盧武鉉謁見で仕上げようと、米国と連携して目論んでいる。
だが、胡政権も米国が担保する北主導の南北統一は受け入れがたく、支那としては看過できないとの強いメッセージを金正日に送りつけ、正日も無碍に無視できないとして、南北首脳会談の延期を決めたものと思われる。仮に、北京の意向を無視すれば、正日自身が父・日成と同じ命運を辿りかねないと警戒しての安全措置だと思われる。
韓国紙朝鮮日報は、海外流浪を続けていた金正男が今年六月頃に北朝鮮に帰国、平壌の朝鮮労働党組織指導部で働いていると報じた(八月二七日)。すなわち、平壌は北京の紐付きの正男を受け入れざるを得ない状況にあることを示唆する報道で、三代目をめぐる後継者争いに、北京が一枚噛んでいることを暗示する情報である。また、支那丹東近くの中朝国境地帯で、北朝鮮が約一〇キロにわたり鉄条網の設置作業を始めていることが明らかになっている。すなわち、中朝間には目に見えない緊張が高まりつつあることを暗示している。
南北首脳会談は延期されたが、再度の延期、さらには中止に追い込まれる可能性もあり、その先行きは米中関係の在り方にかかっている。仮に、平壌が北京に屈することになれば、アジアにおける米国の威信は総崩れになる。わが国は改めて、安倍政権が唱える、「戦後レジームからの脱却」を真摯に模索する必要性に迫られている。
●日本 独自のアジア戦略発動へ
安倍晋三首相はニューデリー市内でシン・インド首相と会談し、来年予定のシン訪日までに二国間の安保協力に関する報告をまとめることなどで合意した(八月二二日)。
わが国政府は、安倍訪印に先だって、インド政府が建設を目指しているアジア初の本格的な高速貨物専用鉄道に、平成二〇年度以降の五年間で、総工費五〇億ドル(約六〇〇〇億円)のうち、四〇〇〇億円規模の円借款を供与する方針を決めていた。安倍訪印で、日印両国間の経済交流の活発化に加え、わが国は安保面での連携強化に一歩踏み込む姿勢を内外に明らかにした。
安倍首相は日印首脳会談に先だってインド国会で演説し、「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益だ」と強調。また、極東軍事裁判(東京裁判)で被告人全員の無罪を主張したインド出身のパール判事に言及し、「たくさんの日本人から尊敬を集めている」と評価した。翌二三日、安倍は、パールの長男と面会し、父親が日印友好に果たした業績を讃えた。すなわち安倍は、従来のODA戦略を乗り越え安保分野にまで踏み込んだ、わが国独自のアジア外交に乗りだす意向をインドで明言したのである。その際、パール判事の業績を顕彰することで、脱戦後体制史観(脱自虐史観)の必要性に言及したといえる。
支那のメディアは安倍がインド国会で行なった演説で、日・米・印・豪との安保連携強化を呼びかけ拡大アジアを強調した言辞を捉えて、「中国を孤立させるメッセージだ」と決めつけ、「時代遅れ」「支持をえられない」などと猛反発した。さらに、党機関誌・人民日報傘下の環境時報が二日間連続して、安倍の「対インド価値観外交」を批判するなど、北京政府は、わが国が独自のアジア外交に踏み出すことにヒステリックに反応している。
安倍訪印直後、わが国と東南アジア諸国連合(ASEAN)は、マニラで経済相会合を開いて、経済連携協定(EPA)の締結で最終的に合意した(八月二五日)。わが国はASEANからの輸入額で九〇パーセント分の物品関税を、協定発効と同時に撤廃することになった。一一月に署名し、来年四月にも発効の見通しである。すなわち、わが国は、ASEANとのEPAの最終合意によって、通商戦略上の大きな転機を迎えることになる。
ASEANとのEPA関係では支那や韓国が日本より先行しており、わが国は今回やっと中韓両国に追いついたといえる。世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハラウンド)の先行きが不透明ななか、世界は二国間や地域間の経済連携の動きを強めている。日本がASEANとの経済連携に遅れをとったのは、WTOの枠組み維持に淡い期待を持ったからである。しかし、その内実は米国中心に主導されてきた、第二次大戦以降の世界経済システムから脱却する気概を発揮できなかったにすぎない。
戦後の世界経済レジームは、世銀とIMFを両輪とするWTO体制にあり、米ドルを国際基軸通貨とすることを前提に成り立ってきた。しかし、WTO枠組の先行きは不透明なままで、世銀は内部の醜聞騒動を隠せないほど権威失墜に見舞われ、IMF人事に異変が生じるなど、戦後日本の経済成長を支えてきた貿易・金融などの国際的経済枠組みは、その制度疲労が著しい現実を隠しきれなくなっている。
その主たる原因は米ドルの凋落にあり、わが国は貴重な国富の大半をドル権威維持のために塩漬け投資を余儀なくされている。だが、今回の金融ハルマゲドン的な趨勢が象徴するように、ドル一極支配の終わりが明らかになり始めている。その内実は、米国覇権の凋落にある。わが国が今回ASEANとEPAを締結したことは、まさしく「戦後レジーム」からの脱却に一歩踏み切ったも同然である。
安倍は先の参院選挙では、自ら掲げた「脱戦後体制」を真摯に検証しない国内世論(メディア世論)に敗れた。だが、その外堀を外交分野で埋めることで、「脱戦後体制」への一歩を踏み出した。それゆえに、支那北京政府が異様な苛立ちを示しているのである。
安倍は返す刀で、「脱戦後体制」に向けた内政変革に政治生命を賭すべきである。「脱戦後体制」を実現させることはある種の内戦状況をも覚悟する必要があるほどの難題であろう。その難題成就のためには靖国の秋の例大祭に参拝して英霊の御魂に決意を表明し、御加護を祈念するのも一助となろう。